失われた7年間を求めて ~都合のいい女だとわかっているけど~

 

深雪が31歳になったとき、転機が訪れた。妊娠がわかったのだ。最初から功一は避妊をしなかったため、いつかこうなるかもしれないという予感はあった。そして、心のどこかで、待ち望んでいたことでもあった。命が宿ったという事実は、深雪が初めて本心を伝えることを許され、彼に選択を迫れる免罪符のようでもあった。

 

「マジかよ……おろしてもらえない?」

 

電話で妊娠を告げたとき、功一は露骨にため息をつきながら言った。半ば予想していた反応だった。深雪がすぐさま拒否したのは、彼にとって予想通りでなかっただろう。

 

「何で!? 絶対に嫌! 私は産みますから。おろすなんて嫌に決まってるじゃない!……」

 

声を荒げ、泣き喚き、懇願した。初めて示した意思だった。だが、功一は最後まで反対し、一方的に電話を切られた。それから、電話もメールもつながらなくなった。辛さや悲しさや悔しさが、涙と共に次々とあふれ出て、みゆきは自分の部屋で声を殺して泣いた。

 

それでも、家族の前では何ひとつ変わらぬ様子で、いつものように過ごす。たまらなくそれが苦痛だった。

 

「妊娠していることや、おろせと言われていることは、絶対に家族には言えませんでした。父親とはあまり仲が良くなくて、初めからそんな相談はできない。お母さんは死産を経験していて、泣いているのを見たことがあったので、おろすなんて言えっこない。だから、つわりがあっても我慢して、隠し通して、部屋でひとりで泣いてました」

 

職場では、妊娠がわかったと嬉しそうに話す女子社員が、周囲から祝福されていた。同じ妊娠なのに、なぜ彼女は祝われて、私は辛い思いでいるのだろうと思うと、涙が込み上げた。一人で産むことも考えたが、悩んだ挙句、深雪は堕胎を決断した。

 

「ひとりで子どもを産んで、シングルマザーとして育てていく勇気がなかったんです。彼がいてくれないとダメだって。もちろん、妊娠したのは私の責任でもあるので、ひとりで何とかできるならそうしたかった。でも、どうしても、その覚悟を持てなかったんです」

 

堕胎を決めて数日後、会社からの帰り道、踏切が開くのを待っているとき、ふと「もういいかな」と思った。弱い自分のことが許せなかった。電車が近づいてきて、深雪は線路に向かって足を踏み出しかけた、が、それ以上進めなかった。死ぬ勇気すらないのかと、ますます自己嫌悪になった。

 

だがその一件は、ある意味で深雪を一度殺し、生き返らせた。そして、これまでの彼女だったら決してしなかったであろう行動に走らせた。功一の実家に電話し、借金や妊娠のことなど、洗いざらい彼の両親に話したのだ。もちろん彼の両親と面識はなかったが、実家が飲食店を経営していると聞いており、電話帳で調べると、すぐに見つかった。

 

「家だと家族に聞かれるかもしれないので、イオンの屋上から電話をかけました。彼のお母さんが出て、ものすごくびっくりしていましたね。その後、お母さんが本人に連絡して問い詰めたら、さすが観念したみたいで、彼と両親と4人で一度話し合おう、ってことになったんです」

 

数日後の夜、チェーン系の居酒屋で4人は顔を合わせた。半個室の席の片側に功一と両親が、反対に深雪が座った。功一は借りてきた猫のようにおとなしい。さすがに誰も酒を頼まず、ウーロン茶と、申し訳程度に頼んだ漬物がテーブルに並んだ。学生の集団だろうか、ほかの席から笑い声が聞こえてくる。なぜ居酒屋にしたのか、と3人を見つめながら深雪は思った。

 

開口一番、両親は謝罪するでもなく、堕胎手術の費用は自分たちが負担すると事務的に言った。また、これまでの借金80万円は、どういう内訳なのか聞いてきた。詰問のような口調だった。答えると、両親は一つひとつ功一に確認しながらメモし、後日振り込むと告げた。話し合い、というよりお金の清算の話だけが一方的に行われた。