尾崎放哉は「咳をしても一人」だったのか?調べたら意外な素顔が見えてきた

香川県・小豆島にある尾崎放哉記念館

咳をしても一人

何とも哀愁が漂うこの句をご存じだろうか。俳人・尾崎放哉(おざきほうさい・1885年~1926年)の代表作の一つである。尾崎放哉は明治から大正に活躍した自由律俳句の名手。東京帝国大学を卒業後は保険会社に就職し、エリートコースを辿るものの酒に溺れて退職。妻と離縁したのちは寺院を転々とし、極貧と病に苦しみながら、小豆島の西光寺にて41歳の生涯を終えた。

尾崎放哉の肖像(写真提供:小豆島尾崎放哉記念館)

 

浮き沈みの激しい人生である。しかし尾崎放哉は本当に「咳をしても一人」、つまり孤独に呑まれた生涯だったのか。尾崎放哉の終のすみか、香川県小豆島にある尾崎放哉記念館を取材した。

目次

妻も地位も捨てた放哉が捨てられなかったもの

――まず自由律俳句の定義について教えてください。俳句や川柳との違いは何でしょうか?

一般的に俳句は季語および五七五音の音数律による定型詩で、川柳は同じく五七五ですが季語や切れ字がありません。自由律俳句は、文字数や季語の制限が無いものだと言われています。

尾崎放哉とも交流があり、同じく俳人として知られる荻原井泉水(おぎわらせいせんすい)は、自由律俳句を「初めに字数や季題があったのでは、自然の様相やそれに向かう作者の心を十分に表現できない。自然界に内在する光や力を、おのれの心の内でとらえて、リズムのある言葉で自由に、そして端的に表現している」ことを定義として提唱しました。

 

――尾崎放哉の代表的な句を教えてください。

「入れものが無い両手で受ける」「咳をしても一人」は一般的に代表作とされています。言葉の意味としてわかりやすく、強烈なイメージがあるのではないでしょうか。彼の句は好き嫌いを含めて解釈の余地があるかと思いますが、わかりやすいようでわかりにくかったり、シチュエーションがありそうでなかったり、というところが印象に残るのではないかと思います。

ちなみにですが、平成27年に開催された「生誕130周年記念フォーラム」で全国の放哉愛好家から募集した「私の好きな放哉句」ベスト10というものがあります。そのなかでは1位「咳をしても一人」、2位「入れものが無い両手で受ける」、同2位「山茶花(さざんか)やいぬころ死んで庭淋し」、同2位「なんと丸い月が出たよ窓」となっています。

代表作のひとつ「入れものが無い両手で受ける」が刻まれた石碑

 

――確かにどの句も「どこかわかる気がする」「情景が浮かぶ」という印象ですが、尾崎放哉の作品の魅力や独自性はどんなところでしょうか?

地位を捨て、妻を捨て、すべてを捨て切ったようで、句や言葉は捨てきれなかったのだと思われます。そんな生き方のなかでの作品もまた削って、削ぎ落したものとなり、読み手にとっては不明瞭ともとれる作者の心情が表現されているところではないでしょうか。

 

――放哉の句が人気バンド・ヨルシカの歌詞によく引用(※)されていますが、それについてはどういった思いですか?

日本ゴールドディスク賞などの受賞歴もあり、人気のある著名な方に取り上げていただくことは、大変嬉しく思います。特に若い世代の方々に注目されることで、尾崎放哉や自由律俳句を知るきっかけのひとつになればと思います。

※n-buna、suiからなるバンド「ヨルシカ」の楽曲においてたびたび放哉の句がオマージュされている。『嘘月』では作詞者であるn-bunaが引用を公表した。

「ぼっち」で「かまってちゃん」?放哉の魅力

――最期の地が小豆島で、ここで暮らした8ヶ月では3000もの句を詠みましたが、作品から地域性が見えてくるなど、土地と作品の関連はやはり大きいですか?

地域との関連はわかりませんが、放哉は海が好きで、福井県小浜市の常高寺にいたときも海が近いことを喜んでいました。小豆島へ移り、荻原井泉水への書簡に「小サイ庵(いおり)デヨイ。ソレカラ、スグ、ソバニ海ガアルト尤(もっとも)ヨイ」「之(これ)デ、モウ外に動カナイデモ死ナレル」とあるように、安住の地を得たという安心感から多くの句が作れるようになったのではないかと思います。

 

――小豆島の人々にとって、尾崎放哉はどういう存在だったのでしょう?

放哉が荻原井泉水や俳人・飯尾星城子(いいおせいじょうし)に宛てた書簡のなかに、土庄町民に対する悪口を書いたものがあります。そのなかに「内海といふ処やその他、皆よい処ださうです」「僅か、はなれ居て渕崎なんか、大変、人のオトナシイ処ださうですよ」とあり、小豆島というより、南郷庵(※最期を過ごした庵)周辺の土庄の人々しか、放哉の存在を知らなかったかもしれません。

料理屋で酒を飲み、くだをまいて絡んだり、迷惑をかけたり……というところを、酒飲みで酒癖が悪い、金の無心をする、東大出を鼻にかけるという印象を持たれていたのではないかと思います。

放哉から荻原井泉水への書簡(写真提供:小豆島尾崎放哉記念館)

 

――奔放に見える生き方をしてきましたが、その人柄や生き様にはどんな魅力がありますか?

純粋すぎて、世の垢にまみれることができなかったようです。人を厭(いと)い、人を慕った放哉。独居無言の生活に憧れたのに、死ぬまで淋しいと繰り返した放哉は本当に矛盾だらけの人。その真正直すぎる人間らしさが魅力ではないかと思います。

自由律俳句を作る人が増えてほしい

記念館には貴重な資料が保管されている(写真提供:小豆島尾崎放哉記念館)

 

――文学館・記念館を訪れる人は減少傾向にあるかと思いますが、集客や周知で工夫されていることがあれば教えてください。

小豆島は観光地なので、チラシやパンフレットを島内観光施設に配布しています。企画展や行事を行う際には、県内および関係施設にチラシを送付しています。

 

――今後、記念館を運営するうえでしたいことや、目指したいことは何でしょう?

「尾崎放哉」「自由律俳句」「小豆島尾崎放哉記念館」をより多くの人たちに知っていただきたいというのはもちろんですが、自由律俳句を作る人が増えてほしいと考えています。

放哉の直筆の短冊も展示されている(写真提供:小豆島尾崎放哉記念館)

 

――このWEBマガジンは本や文学が好きな読者が多いので、最後に何かメッセージをお願いします。

放哉関連の書籍には、人となりがわかる句集や、書簡集が多数あります。尾崎放哉といえば「暗い」「孤独」「淋しい」というイメージと、先に挙げた「咳をしても一人」「入れものが無い両手で受ける」の句がよく取り上げられます。

しかし、句集にある他の句を知ると、意外にユーモラスな句や、愛情あふれる句も見られます。また、書簡や随筆などを読むと、放哉の考え方や思いもわかるので、最初に感じた句のイメージも放哉に対するイメージも変わるかもしれません。ぜひ、句に込められた想いも一緒に読んで、それぞれが鑑賞していただければと思います。

取材を終えて

私たちは文豪を含めた過去の人たちについて、全てを知ることはできない。尾崎放哉は本当に「咳をしても一人」だったのか、今となっては正解を知るよしもないが、彼がそのとき抱いた感情や、その後どのような人生観を持ったのか足跡を辿ることはできる。この記事を読んで尾崎放哉により興味を持った人は、ぜひその一歩を踏み出してほしい。(取材・文 三塩真穂、月に吠える通信編集部)

 

小豆島 尾崎放哉記念館

住所:香川県小豆郡土庄町本町甲1082

開館時間:9時~17時

休館日:水曜日、年末年始

入館料:大人220円、小学生110円

TEL:0879-68-0037

WEBサイト:https://www.town.tonosho.kagawa.jp/gyosei/soshiki/shogai/4/361.html

風情がある尾崎放哉記念館の外観

記念館の近くには放哉のお墓もある

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