近くにある店のドアを、ヒロカは開けた。
「こんばんはー! 二人なんだけどいい?」
「ああ、ヒロカちゃん、いらっしゃい! どうぞどうぞ」
「飲み物はカシスウーロンと、リク君はビールでいい? あと着替え部屋、借りるね」
「はーい」
この店の常連でもあるらしいヒロカは、店内の一角に僕を連れて行った。
え、何ここ、洋服やウィッグがたくさんある。……。
「どれがリク君には似合うかなあ……」
「このチャイナなんかも似合いそう!」
「ねえねえ、リク君はどれがいいと思う?」
「そ、その左手に持ってるやつかな……」
「OK! はい、じゃあ次。座って!」
「ね、ねえ、何を……」
「いいから!」
「ちょ、ちょっと……」
「あ、あの……」
「動かないの! もう少しだから我慢して。最後につけまをつけて、はい終わり! 鏡の前に来て」
「……」
映っていたのは、自分とはまったくの別人の女性だった。だが僕が動くと、その女性も同じように動く。間違いなく自分だった。
「ねえ、これって……?」
「あなたよ。すっごくかわいい。自分でもそう思わない?」
「……」
「リク君、くよくよしてたから、元気になってもらいたくて。ほら、こんなに素敵なんだから、自信持ってね」
客席に戻ると、店員やほかのお客さんも寄ってきて、口々に「いやだ、かわいい!」「絶対モテる!」「似合いすぎて悔しいんだけど!」と感想をくれた。先ほどまでの戸惑いはいつの間にか消え、これまでになかった喜びが体の奥から込み上げていた。
「じゃあ、行こっか?」
「どこに?」
「二丁目、初めてなんでしょ? 私の行きつけの店、いろいろ連れてってあげる」
「僕は、この格好のまま?」
「当り前じゃない! さっ、早く!」
ヒロカに手を引かれ、僕らは夜の街へ飛び出した。
そこからはあまり記憶がない。ヒロカと何軒かはしごし、空が明るくなるまで飲み歩いた気がする。目を覚ますと自分の部屋だった。窓の外には夕焼けが広がっている。
「やっべー、会社!?」
飛び起きて、今日が休日だったことを思い出し、安堵した。強烈な頭痛がする。水を飲み、目をこすると、手にメイクがべっとりついていた。洗面所で顔を洗おうとして、僕は絶叫した。手に毛虫がついていたのだ。
それがつけまつげだと気づかず、手をぶんぶん振りまわしているとき、枕元に置いたスマホが鳴った。ヒロカとLINEを交換したことすら覚えていない僕が、メッセージを見て歓喜したのは、悪戦苦闘の末に何とかメイクを落とし終えた後のことだった。
※後編へ続く
新作情報
山下紘加さんの新作『クロス』が掲載される「文藝2020年春季号」は2020年1月7日発売です! ストーリーは今回の「デートなう」の設定とリンクしているのでお楽しみに!