日常生活でのあんな失敗、こんな失敗。やってしまった当時は恥ずかしくてたまらなくても、時が経てば自然と笑い話にできるもの。そんな軽い「しくじり」話は、古典文学のなかにもたくさん登場しますので、いくつか紹介します。
古典というとおカタいイメージを抱かれる方も多いかもしれません…ですが、その魅力をあくまでゆるく解説していくので、どうぞご安心してお読みください!
勘違いの涙
まずは鎌倉時代を代表する随筆『徒然草』から、クスッと笑える勘違い話をご紹介しましょう。
京都の出雲神社に、聖海という偉いお坊さんが参拝にやって来たときの話です。参拝後ふと辺りを見回すと、神前の獅子と狛犬が、本来は向かい合わせのはずなのに、互いに背を向けて立っていました。「こんな珍しいものが見られるなんて!」と聖海は大感激。ついには涙ぐみながら、周囲の参拝者に向けて「もしもし、この有り難いものが目に入りませんか!」と大声で呼びかけ始めます。
「確かに珍しいなあ」と皆で不思議がっているなか、聖海はわざわざ神主を呼んで、狛犬の立ち姿について尋ねました。すると神主からは予想外の答えが。「ああそれ、近所の子どものいたずらですよ」
結局狛犬が逆向きだったのは子どものしわざであり、有り難いものでもなんでもなかったのです。聖海さん、見事にずっこけましたね……。
酔っ払い坊主の悲惨な末路
お次も『徒然草』から、ちょっとイタいエピソードです。
京都の仁和寺で宴会をしていたある日のこと。一人のお坊さんが酔った勢いで、鼎(金属の鍋)をかぶって踊り出しました。それを見た皆は爆笑。踊ったお坊さんもすっかり良い気分になり、鼎を外そうとすると……どうしたことでしょう、鼻が引っ掛かって全く外れません。誰かが鼎を割ろうとして叩いても、金属製だからそう簡単に割れるものでもない。医者に診せても「このようなケースは初めてでして…」と言うだけで、何の解決にもなりません。
結局「もうとにかく力入れて引っ張るしかないでしょう! 最悪鼻がもげちゃっても生きていればオッケー!」ということになり、千切れんばかりに鼎をぐいぐい引っ張ったところ、やっと外れました。めでたしめでたし……ではありません。鼎が外れたお坊さんの顔からは、鼻と耳がなくなっていました。力任せに引っ張るあまり、もげてしまっていたのです。
お酒の席での失敗談ってよく聞きますけど、このエピソードを上回るものはそうそう無い気がします。しかし「鼻がもげても生きてりゃオッケー」って……ポジティブというには、あまりに残酷すぎませんか。
ナンパ男に思わぬドッキリ
最後は、平安時代最大の説話集『今昔物語集』のなかから一つ。
昔々、宮中を警備する武官のなかに、茨田(まんたの)重方という、既婚者でありながら女遊びばかりしている軽薄男がおりました。ある日彼は、参拝に訪れた稲荷神社で華やかな出で立ちの女性に出会います。顔は着物で隠れているけれども、きっと美人に違いない! そう思った重方は、早速すり寄ってあれこれと口説き文句を浴びせはじめます。
しかし女性は「行きずりの方の言うことなんて信じられないわ」と受け流し、その場を立ち去ろうとしました。慌てた重方は「そんなつれないことを言わないでくれ。このまま君と一緒にいて、女房のところには帰らないから!」と泣きながら訴えました。
その瞬間突然、女性が重方の頬を力いっぱい引っ叩きました。「何するんですか!」驚いて女性の顔をよく見ると、なんと彼女は、変装した重方の妻だったのです。
呆然としている重方に向かって「あんた、どうしてそんなに気の許せないことをするの!」と怒りをぶつける妻。重方の必死の弁解も聞かず、「さあ、さっさと惚れた女のところに行きなさいよ!」と言い放ちます。重方は、その場を立ち去るより他ありませんでした。これは重方の失敗そのものより、奥さんの威勢の良さに目がいきますね。
平安時代の女性というと「おしとやかなお姫様」のイメージが先行しがちですが、重方の奥さんのような強い女性も少なくなかったようです。
いかがでしたか? まだまだ紹介したい話がたくさんあるのですが、字数の関係で今回はここまでにさせていただきます。この記事を読んで、少しでも古典文学に親しみを覚えていただければ幸いです(熊井りこ)。