作家兼登山家、深田久弥と『日本百名山』の魅力

 深田久弥という作家をご存じだろうか。1903年生まれ、小林秀雄や堀辰雄と同世代である。山岳随筆の大家として知られ、作家だけでなく登山家としても活動した。代表作は『日本百名山』。この本は日本の登山界に百名山ブームを巻き起こし、現在でも中高年の登山者を中心に大きな影響を保っている。登山をする人で百名山を知らない人はいない、と言っても過言ではない。

 

 

だが山に興味がないと、読書好きの人でも馴染みのある作家ではないだろう。登山界では大きな存在ながらも、文学界では若干影の薄い気もする深田久弥と『日本百名山』。そこで今回は、多少登山をかじっている記者が、『日本百名山』とその中の山々に関するトピックを紹介する。

 

目次

そもそも『日本百名山』とは?

『日本百名山』とは、深田が実際に登った日本の数々の山から、独自の基準で百座を選び、その一つ一つについて語る随筆。百座の山を魅力あふれる文体で紹介したこの本は、「今まで知らなかった山の魅力を教えてくれる」とビギナー登山者を中心に人気を博し、百名山を制覇しようとする百名山ブームを巻き起こした。

 

百名山選定から50年以上経った今日では一種のブランドと化し、百名山とそれ以外の山では訪れる人の数には大きな開きがある。このように、登山者に対して抜群の影響力を持つ百名山。では、いったいどんな山が選ばれているのだろうか。いくつかピックアップしてみた。

 

世界一死者の多い山「谷川岳」

 

 

群馬・新潟の県境に位置する谷川岳。「東京から近く、二千米に近い高度を持ち、しかも標高のわりに岩根こごしい高山的風貌をそなえている」と深田が評し、百名山に選んだように、手頃にアルプスのような美しい景観を楽しむことができる。

 

また、現在は麓から山腹までロープウェイが通っており、多くの登山者に利用されている。特に秋、10月初旬~中旬には、登山者以外にもロープウェイで紅葉を見にやってきた観光客で賑う。

 

しかし、そんな「近くてよい山」谷川岳は、全く対照的な一面を我々に見せてくれる。実は谷川岳は、世界で最も死者数の多い山としてギネスに登録されているのだ。その数なんと800名超(1931~2012までの統計)。

 

世界の8000m峰14座での合計死者数が600人程度だから、いかにこれが飛びぬけた数字かが分かる。紅葉を見に来た観光客が遭難するわけではあるまいし、なぜこんなにも死者が多いのだろうか。 その訳は、谷川岳が誇る高難度なクライミングルートである。

 

 

谷川岳には一般的な登山道の他に、岸壁の登攀を行うクライミングルートがあり、日本のロッククライミングの聖地となっている。更にその難しさにもかかわらず、東京近郊にありアクセスが良いため、簡単に登りに行けてしまう。このアンバランスさが谷川岳という「魔の山」を生んだのだ。

 

『アルプス一万尺』の“こやり”を持つ「槍ヶ岳」

『アルプス一万尺』を知らない人はいないだろう。手遊び歌的な、幼稚園でよくやらされるアレだ。でも、この「アルプス一万尺 こやりの上で アルペン踊りを さあ踊りましょう」という歌詞、何を言っているのかいまいち分からない。幼稚園生の頃の記者には、せいぜいハイジがアルプスの高原で手を取り合って踊っている場面しか想像できなかった。

 

実はこの歌は日本の山、特に登山について歌ったもので29番まで歌詞があり、延々と日本アルプスの風景や登山の楽しさが語られている。歌詞の“アルプス一万尺”は、1尺=約30㎝、1万尺=3000mで、3000m級の山々が連なる日本アルプスを指す。そして“こやり”は深田久弥が「日本のマッターホルン」と評した百名山、槍ヶ岳の山頂すぐ近くにある大きな岩のことなのだ。

 

この槍ヶ岳、まさに槍のように颯爽とした鋭い形をした、日本で屈指の人気を誇る山である。深田も「いやしくも登山に興味を持ち始めた人で、まず槍ヶ岳の頂上に立ってみたいと願わない者はないだろう」と記すほどだ。

 

槍ヶ岳山頂写真

 

“こやり”は“小槍”であり、これまた槍のような形をしている。登ることは不可能ではないが、普通の登山者はまず登らない。更にそこそこのクライミング技術と装備が必要で、しかも登り切っても座るスペースすらない。

 

こんなところで踊ろうなんてものなら、即座に数十メートル下に真っ逆さま、滑落死である。更にあの歌は、「さあ踊りましょう」と、明らかに複数人で踊ることを想定しているがとんでもない。ただの集団自殺だ。歌の本当の意味を知るより、おとなしくハイジを連想しておいたほうが幸せなのかもしれない。

Photo by Kou Nakayama .

 

 

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