職業・ノンフィクションライター。ただしジャーナリズムとは無縁の、世の中の役に立たないゆる~い記事が持ち味の北尾トロさん。ほかの誰とも似ていないオリジナリティや面白さが確立され、多くのファンに指示されています。独自のスタイルが出来上がるまでのエピソードや、若手ライターへのアドバイスなどを伺いました。
一度も勝負をしていないのに辞めるのはつまらない
―北尾さんは元々ライターになりたかったわけではなく、先輩に誘われるままにライターになったそうですね。そんな風に何となく始めたのに、ライターとして生活できていたのは、出版不況と言われる今の時代では考えづらいように思えますが、何が要因だったと思いますか?
当時、フリーライターという仕事はそんなに一般的じゃなかったので、比較的なりやすかったのかもしれない。生活できていたと言っても、全然お金はなかったしね。
会社を辞めた後にジャーナリスト専門学校に入ったんだけど、1~2回しか行かなかった。それも田舎に帰りたくないから籍を置いていただけで、ライターやマスコミ業界には関心がなかったし、誘われてライターになりはしたものの、長く続ける気はありませんでしたね。
― それでも、デビューして約一年後に著書を出されるなど、順調なライター生活を歩んできたように思えますが、やはり当時は充実していたのですか?
それは全然ないね。最初に書いたのは競馬の入門書「サラブレッドファン倶楽部(ナツメ社)/伊藤秀樹名義」だったんだけど、企画を立てたのは先輩ライターで、僕はただ書くだけ。
競馬が好きなので、書いている間は楽しいし、本ができたときは嬉しかったけれど、自分の知識や資料を見て書いただけなので、苦労していないじゃない?
充実はしていなかったし、やっぱりその本は売れなかった。そして売れなくて当然だとも思ったし。
― そこから転機になった出来事があったのですか?
30歳前後のときに、ライターに飽きたから辞めようと思った時期があったんですよ。けれど、「これが失敗したら辞める」という勝負を一度もしていないのに、辞めてしまうのはつまらないと。
それで、僕は競馬が好きなので、競馬業界の裏方たちを取材した「馬なりの人生(日本能率協会マネジメントセンター)」という本を書いて、ダメならしょうがないという風にしたいと。取材したい人に手紙を書いて、地方まで会いに行ったりして、こんなにお金がかかるのかと思いながら(笑)。
それを半年くらいかけてやったのかな。取材らしい取材をしたのはこのときが初めてで、すごく楽しかったんだよね。結局本は売れなかったんだけど、「失敗したら辞める」って言ったのをすぐに撤回してライターを続けることになったの。やるよ、と。