※第1回のラオス編はこちら。
現代社会における本や文学の価値を見出すため、日本を飛び出して世界のバックパッカーへインタビューを行う当企画。旅は続く。10月半ば、筆者はラオスから飛行機でタイの首都・バンコクへと降り立った。
向かった先は世界一の安宿街、カオサン・ロード。沢木耕太郎の傑作旅行記「深夜特急」にも、「アジアを旅するならカオサンへ」との記述がある。安宿のほか旅行者向けの飲食店や雑貨店が所狭しと並んでいるこの通りは、バックパッカーの聖地とも呼ばれている。
「カオサン・ロードでやるべきことのリスト」と題した名産レオ・ビールの巨大な広告。屋台フードを味わう、タトゥーを入れる、マッサージを受ける、楽しむ!
夜更けともなると旅行者でごった返し、各店から流れる生演奏やダンスミュージックで、通り全体がまるでクラブ状態に。
今年開館2周年のバンコク市立図書館は、カオサン・ロードから歩いてすぐ。外国人でもパスポートを見せれば、無料のワンデイパスで入場できる。
タイ・バンコクでの取材の舞台は、そんなカオサンの喧騒から徒歩10分ほど離れた静かなエリアにあるジータイ・ホステル。男女混合の8人部屋は、1泊朝食付きで135バーツ(約485円)と格安だ。
筆者はここに10/23から11/6まで滞在し、5人のバックパッカーにインタビューを行った。さっそく紹介していこう。「ねえ、何の本持ってきた?」
1人目:フアン(28歳/スペイン・セビリア)
「6日前にスペインを出たばかりで、これから初めてのタイを2ヶ月旅します。友達がタイへスキューバダイビングに来るので、一人旅をしてから合流する予定なんです。大学で土木工学を学んだ後、バルセロナで7ヶ月別の仕事に就いて貯金し、旅に出ました。クリスマス前にはスペインへ帰ります」
彼はなんと4冊もの本を持っていた。かなりの読書家であることが伺える。1冊ずつ話を聞こう。
持ってきた本1冊目
「On the Road」Jack Kerouac
※装丁は異なるが同じ版と思われる
日本語版:「オン・ザ・ロード」ジャック・ケルアック著、青山南訳
ビート・ジェネレーション(ビートニク)を代表する作家、詩人であるジャック・ケルアックの代表作。ビートニクとは1900年代半ばのアメリカ文学界で異彩を放った作家群のこと。「ニューヨークのアングラ社会で生きる非遵法者の若者たち」という意味がある。本作品は彼の大学中退以降の放浪生活で起こった実体験をベースにした自伝的小説である。
「この本には著者がサンフランシスコからニューヨークへ旅した際の経験や、出会った人々について書かれています、ノンフィクション小説ですね。スペイン語版で一度読んだので、今回は原書を読んでいます。スペイン語版のタイトルは翻訳が好きではありません。
原題の『ロード』という単語は郊外の道のようで、幹線道路という感じではありませんが、スペイン語版のタイトルは幹線道路をイメージさせるんですよ。原題のニュアンスが失われているように感じるんですよね」
実に繊細な感性だ。なぜこの本を選んだのだろう。
「旅をしながら読むことで、作品の背景にある哲学や郷愁を感じることができると思ったんです。著者も僕と同じようにクレイジーですし(笑)。旅ではただ起こってくる出来事を経験して、それ以外のことは考えないようにしています」
この作品の魅力とは?
「彼の文体はすごくクールなんですよ。頭に浮かんだこと全てを書いていて、どこから始まってどこへ行くのかわからないような流れる感じで、いきなり終わったり、意味のないような内容もあるんです。空虚に感じるときもあれば、満たされている感じがするときもあって、それが好きです」
フアンはその部分にアンダーラインを引いてくれた。右下部「the」から「Awww!」までがそうだという。
持ってきた本2冊目
「Leaves of Grass」Walt Whitman
日本語版:「草の葉 」ホイットマン著、酒本雅之訳
19世紀アメリカの詩人ホイットマンは伝統的な詩の形式を無視した「自由詩の父」と呼ばれる。彼の傑作詩集「草の葉」は発表当時、評価が大きく割れ、あからさまな性的表現のために「わいせつ」とも評された。人間のあるがままの生命を賛美したホイットマンの作品は、「アメリカをしてアメリカたらしめている根源的作品」とまで言われている。
「この本は左ページに原書の英語が、右ページにスペイン語の対訳が付いているんです。時々開いて一節を読むことで、深い気づきを得られます。4ヶ月前にバルセロナで買いました」
この本を持ってきた理由には、先ほどのケルアック作品が関係しているのだという。
「ケルアックは親友のアレン・ギンズバーグ(ビート文学を代表する詩人)に影響を受けましたが、ギンズバーグはホイットマンの影響を受けているんです。ギンズバーグもまたホイットマンのように繊細な人物で、ゲイであり、少ない言葉で自分自身と深く繋がることができる特別な人でした。
ケルアックからの繋がりでこの本を知ったんです。スペインでも多くの若者が彼らの文学に影響を受けていますが、僕の周りで読んでいる人は多くはありませんね」
では一番好きな詩はどれか?
「この詩です。『全ては自分と繋がっていて、全ては自分の心にある』ということが書かれています。人生や瞑想へのヒントとなるそのメッセージを、深く理解することができました。シンプルな言葉が全てを内包しているんです」
持ってきた本3冊目
「The Call Of The Wild」Jack London
※装丁は異なるが同じ版と思われる
日本語版:「野性の呼び声」ジャック・ロンドン著、深町眞理子訳
1900年代初頭のアメリカ人作家ジャック・ロンドンは、北方での見聞をもとに書かれた本作の大ヒットにより一躍人気作家となった。舞台はカナダ・アラスカ国境地帯。主人公である大型犬が大雪原を駆け抜けるそり犬となるまでの、数奇な運命を描く。
「この作品の主人公は犬なんです。そう聞くと変に聞こえるかもしれませんが(笑)。恵まれた環境にいた主人公が悪い人間に捕まり利用されそうになって、そこから自由を獲得するまでの物語です。
三人称で書かれていますが、犬の感情が表現されているのでとても変な感じがします。こんな本は他に読んだことがありません。サン=テグジュペリの『星の王子さま』のような、子供から大人まで楽しめる本ですね」
先の2冊とは毛色が異なるが、どうしてこの本を?
「さっきの2冊は『考えさせられる本』ですが、この本は真逆で『感じさせられる本』なんです。この作品の主人公は自分自身については考えず、ただ生き抜こうとしています。考えさせてから感じさせる本ではなく、感じが先にあって、そこから考えさせられる本なんですよ。さっきの2冊とはまた違った読書体験ができるので、この本も選びました」
持ってきた本4冊目
「Solo existe el momento presente」Sangharakshita
※アマゾン取扱なし
イギリス人仏教僧のサンガラクシーターによる瞑想の本。タイトルは日本語だと「今この瞬間に在る」といったところだろうか。
「この本は叔母がくれました。僕は半年ほど前にヨガと瞑想を始めたんです。バルセロナではあまり時間がとれませんでしたが、今は1日1時間ほど瞑想しています」
文学を愛するフアンが考える、スペイン文学で最も偉大な作品とは?
「世界的に有名なセルバンテスの『ドン・キホーテ』ですね。自分のクレイジーなアイデアを現実と信じ込んだ男の物語です。誰も彼の信念を変えることはできませんでした。子供向けなどの短縮版も多数出ていますが、原書は千ページ以上もある分厚い本で、子供向けではないんですよ」
母国にいるときと旅先では読む本は変わるのだろうか?
「母国ではより哲学的なニーチェなども読みますね。旅先ではより象徴的な、わかりやすいものを読んでいます」
スペインの、本を取り巻く状況は?
「紙の本よりも電子書籍を読む人の方が増えています。ネットは素晴らしいですし電子書籍なら千冊の本を保存することもできますが、ただ保存していても意味はないですよね。紙の本なら五感で感じたり、読後には誰かにあげることもできます。その人が自分を思い出してくれていると、感じることもできますよね。
本ではたった一節の文章が意味のあることを的確に表していることもありますが、紙の本ならそれを誰かに譲り渡すことだってできるんです。電子書籍ではそういった要素は全て失われてしまいますよね」
最後の質問。あなたにとって本とは?
「別の人生経験へアクセスし、旅する方法です。知識を拡げて学ぶことができます。ここタイでも仏教寺院で僧侶から学ぶことができますが、どの寺院でも教わることは同じですよね。本も同じで、全てのことは同じポイントに帰結するのだと思います。僕にとって本とは、脳や魂、頭のための食べ物ですね」
フアンは旅の荷物をパッキングする際、3つのパートに分けて考えるのだという。服や雑貨。体の食べ物。そして、頭の食べ物。彼のバックパックの中では、3つめの占める割合が一番大きいのかもしれない。