【1/3】ノンフィクションライター・北尾トロさん 全力でスローボールを投げるのがスタイル

目次

 

過剰にやってこそ、みんなが笑ってくれる

 

― 北尾トロというペンネームはどのように生まれたのですか?

 

20代後半のときに、スキー雑誌やテニス雑誌で連載していたんだけど、その中で北尾トロというペンネームを使うようになったんです。元々は本名で記事を書いていて、でも穴埋め記事を書くために……記事が二つあるとする。

 

でも、どちらも同じ人が書いていては寂しいでしょ?それで、別々の人が書いているように見せるためのペンネームですね。北尾は元力士でプロレスラーの「北尾浩二」から取ったんだけど、トロは何でつけたのか自分でもよく分からなくて……

 

とにかく、そのうちに「北尾トロの記事が面白いから書いてくれ」と言われて、断る理由もないので書いていたら、そっちの仕事が増えてきた。だんだん使い分けるのが面倒くさくなってきて、北尾トロ名義で統一することになった、みたいなことですよ。

 

― 北尾さん名義で初めて出されたのはどんな本だったのでしょう?

 

「彼女が電話をかけている場所―通話中(芸文社)」が北尾トロ名義の最初の本。その頃、「わにわに新聞」というミニコミ誌を作っていて、北尾トロ名義でコラムを書いていたの。その頃の僕は「女の一人暮らし」に興味深々で、取材して連載していたんですね。

 

それを見た芸文社の編集者が、面白いから本にしようって。残念ながらこれも売れなくて残念だったんだけど、女性の部屋に行って、下手するとこのまま泊まっていくくらいの感じで取材をして、写真も自分で撮ったからさ。今の取材のやり方は、「馬なりの人生」と「彼女が電話をかけている場所―通話中」の2冊が原点だったね。

 

ゴールを決めて進むやり方は一番嫌い

 

― 現在のスタイルであるゆる~いノンフィクションは、いつぐらいから書くようになったのですか?

 

仕事師とか「裏」をキーワードに色々な企画をやっていた「裏モノの本(三才ブックス)」というムックがあって、何か書いてくれと言われて。それで怪しい仕事をしている人に会ったり、自分で体験して書いたりして。その体験して書くっていうのが大いに気に入って、今に至る感じ。ノンフィクションだけど、硬派なジャーナリズムではない。なるべくしょうもないことを体験して、その結果について書くやり方が面白いってことになって。

 

例えば、最初は「ダッチワイフと暮らす企画はどうだ?」という話になったんだけど、僕はそれでは面白くない、もっと過剰じゃないとダメだと。それで、1万円のビニール風船みたいなのと、3万円の少しマシなのと、7万円のシリコン製のダッチワイフを三体買って比べるって言ってね。

 

それだけで原稿料は飛びましたけど、面白い記事ができたので、「そこまでやらなくていいのに」と言われるくらいのことをどんどんやり始めたんだよね。

 

過剰にやってこそ、みんなが笑ってくれる。でもそうでなかったら、ただのおちゃらけた記事になってしまうから。

 

― 北尾さんの著作に「全力でスローボールを投げる」がありますが、そのタイトルに北尾さんのスタイルが凝縮されている気がします

 

そうだといいですよね。しょうもないことは、くそマジメぐらいに一生懸命やらないと面白くならない。

 

雑誌ダ・ヴィンチの取材で四国に行ったことがあるんだけど、四国には「宮脇書店」っていうチェーン店の本屋が80~90店舗あると聞いたので、じゃあお遍路をしようってことになって。全然求められていないのに、勝手にお遍路の格好をして、納経帳を買って、一店ずつお店のハンコをもらってコンプリートするっていう企画だよね。

 

こういうのって読者も求めていないし、意味はないじゃん。けれど、宮脇書店について書こうと思ったとき、社長にただインタビューするのではなく、納経帳を見せて「こういうことをしたんです」と話すと、「バカだねー」と笑ってくれる。でも、「そこまでやってくれたんだから、好きなことを書いてください」ともなるのよ。ただし、コンプリートさせないと企画としてはボツになってしまうので、僕はいつも必死になるんです(取材・文 コエヌマカズユキ)。

 

その2へ続く。

 

ノンフィクションライター 北尾トロさん

1958年、福岡市生まれ。大学卒業後、就職した会社を研修初日で退職。その後編プロでのアルバイトを経て、先輩に誘われるままに26歳でライターデビュー。「裁判長! ここは懲役4年でどうすか」をはじめ著書多数。ノンフィクション雑誌「季刊レポ」編集発行人。

1 2
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次