【1/3】『ニューカルマ』新庄耕さん マルチは商品もシステムもまともなのに、なぜうさんくさいのか?

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現代社会の闇に容赦なくスポットライトを当てる注目の作家・新庄耕さん。自身の小説のジャンルを「ドロドロ系」と表現する通り、デビュー作『狭小邸宅』では不動産業界の理不尽な環境でもがく若者の姿を、今年1月に発売された新作『ニューカルマ』ではマルチネットワークビジネスの実態を毒々しく鮮やかに描き出し、どのシーンにも読者の胃を傷めつけるほどのリアリティが備わっている。

 

「なぜにこんなにリアルな闇を描けるのか?」

「もしかして結構危ない人だったりして?」

 

その秘密に迫るべくインタビュー決行。それぞれの題材と新庄さんとの繋がりにとどまらず、作家としての葛藤、担当編集の方とのエピソードまでとことん聞かせていただいた。

 

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“あるある小説”にならないようにするのが難しかった

 

 

―そもそもネットワークビジネスを題材にしたのは、どうしてですか?

 

大学時代に彼女から(ネットワークビジネスに)誘われたことは僕の中で大きい事件でした。一方的に惚れてたんで、5万円分くらい買ったのに、結局フラれちゃって。

 

それで一旦関わりは終わったんだけど、(新卒入社した)会社を辞めて、どこにも所属していない状態のときに、いろんなやつと出会ったんです。そこでどっぷりと(マルチに)ハマっているやつを見て。

 

『狭小~』(※『狭小邸宅』(集英社)…新庄さんのデビュー作)を書いたあと、何を書こうか考えてるときに、パッとその時の経験が頭に思い浮かんだんです。

 

 

―自分自身の体験から生まれた題材だったのですね。

 

大学時代も、都内の区民ホールに行ってセミナーの光景を目の当たりにしたし、最近もスタバで勧誘シーンを聞いたし。素材はあったんです。すごく描きやすいし、題材もエッジ立ってるし、(他人にネットワークビジネスの)話をしても盛り上がるし。

 

でもそれだけだと、ただの「あるある小説」にしかならないって途中から気づいて。それだと「あー」で終わっちゃう。今回は素材は踏み台であって、その先にあるものをうまく伝えるのが課題でした。

 

 

―どう乗り越えたんですか?

 

もがく。書きまくる。

 

 

―かなり直したんですか?

 

「直した」というか、もはや「書き直した」って感じですね。大体の設定は変わらないけど、キャラクターも展開もストーリーも違う。(題材を決めてから完成までに)すごくかかりましたよ。3年、4年。

 

 

本当に正しいことは何か?を訴えたかった。

 

―キャラクターで言うと、主人公のユウキみたいな普通の青年の対比として、「タケシ」を義手の設定にしたのはなぜですか。なんで義手なんだろうってすごく気になりました。

 

良い質問ですね。タケシっていう人間には実はモデルがいて。一人は同い年の県会議員。もう一人は仙台の経済界で活躍しているヤツなんだけど、彼らはタケシのように腕がないわけじゃないんだけど、欠損がある。身体だったり、心だったり。でもそれをバネにしている。だからキモチワルイくらい真っ直ぐなんですよ。

 

ちょっとイタイじゃないですか。ああいうヤツ、普通の世界にいたら。実際浮いちゃってたんだけど。僕が短い人生の中で、そういうやつが実際にいるって知ってしまったんです、体験として。

 

ただ、周りにそういう(まっすぐな)人がいない人達からしたら、彼の話をしても「へえ」なんだよね。こういう存在がいるんじゃないかって思わせるには、小説として工夫が必要で。で、仕掛けとして、手がない、と。そういう部分でバランスとれるかなと。

 

 

―義手という設定には、そういった背景があったのですね……。

 

ああいった真っ直ぐなヤツがなんで必要かっていうと、マルチはうさんくさいじゃないですか。でも、実際何がうさんくさいか分からない。システムや商品は意外とまとも。やってるヤツも社会のため、人助けのために、って言っていたり。実際助けてるっぽいし。

 

で、だんだん、言ってしまえばタケシみたいな真っ直ぐなものに近づいていく。でもマルチはなんだかキモチワルイ。「それ(真っ直ぐなものとうさんくさいもの)を分かつものは何なのか」を書きたかったんです。

 

 

―今のお話を聞いて作品の読後感としっくりきました。マルチってキレイ事と相性がいいですよね。「夢を叶える」とか「仲間と好きなことをする」とか。それだけみると他の業界と一緒というか。

 

そう。結局、マルチについて書いているんだけどヨコ展開できるというか。例えばAV業界にも似た構造があって、エクスキューズの仕方が重なるところがある。何をもって正とするかっていうとき、これ(が正しい)っていうものが言えないんですよね。

 

にも関わらず、今の日本にはなんか正しいっぽいものがあって。そこに向かっていくのが良いみたいな(風潮がある)。

 

でもそれは本当に正しいのか。そこまで言いたかったんです。ライスワークとライフワークどっちがいいかなんて答え出ないし。信じたのがマルチだったら、周りの穿った目があるからこそ信じきれる。「何が正しいんだよ」という点が今回の主旋律ですね。


 

ハッピー?バッド?色々な見方があるラストシーン

 

―マルチって入りやすいんですかね。ユウキみたいに、商品に疑問を持ちながらも承認欲求を満たしたい、みたいな思いでマルチをやっている人がいることが新鮮でした。でもマルチじゃなくても満たせると思うんです。どうしてマルチの道に行ってしまったんでしょうね。

 

マルチは敷居が低い。「誰でもありうるよね」っていうのをうまく書きたかったんです。特殊なやつが特殊な世界に入っていくってのは、突き放している感じがして。普通っぽい人が特殊な世界にポロッと入っちゃう。そこを描けたときに、書物として力を持つな、と思ったんです。

 

広く読まれたいと思って創る身としては、一部の人だけじゃなくてなるべく多くのひとに読まれる工夫が必要ですからね。

 

 

―ラストシーンは裏切られましたよ。

 

ハッピーエンドだったでしょ?

 

 

―「ハッピー」ですか?。

 

ハッピーでしょう。ユウキ、すごい成長してたじゃない。あれは、僕としては必ずしもバッドエンドではないですね。

 

 

―確かに『狭小~』よりは救われてる感じ、しました。

 

救われてる感じでしたでしょ。フィンチャー(映画監督のデヴィット・フィンチャー)みたいなね。(取材・文 ささ山もも子)

 

次回へ続く