【エピソード4】壁一面に本棚のあるゲストハウス 旅人たちそれぞれの物語

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いのちをいただく

 

 

獲物の肉を無駄なく、おいしく食べることは、獲った者の最低限のマナーであるだけでなく、当然、醍醐味のひとつでもあります。

『ぼくは猟師になった(著:千松信也)』より

 

「風音ちゃん、仕事だよ!」

 

料理の仕込みをしていたら、勢いよくオーナーが帰ってきた。ゴロゴロと何かを引きずる音。スーツケース? と思ったら、大きいクーラーボックス。あぁ、狩猟帰りだ。鹿が獲れたそうです。

 

「いやー雪山の中引っ張るの大変だった、汗だくだよ。フリース、黒だから目立たないけど多分血だらけなんだ。俺とりあえず着替えてくるから。さばくの練習用にこれ、後ろ脚。あとレバーね。下処理やってみよっか」

 

ドン! と後脚と肝臓をキッチンに置いて、パパっと処理の手順を説明したオーナーは裏に消えていった。ピセでは、猟期にあたる11月から2月は、オーナーが狩ってきた鹿やイノシシを調理してバーで出している。私がピセで働くようになったのは2020年の11月。初めて厨房で包丁を握った日にしたことは鹿の前脚の解体だった。あれから約一年。今年も猟期がやってきた。

 

肝臓は、ボウルに入れて、流水にさらしながら心臓マッサージをするようになかに溜まった血を押し出して洗う。手がかじかむ。押しても押しても血で水が濁る。今回の肝臓は、左側半分はつるんとしているけれど右側半分はモロモロに崩れている。体内に手を突っ込んでブチブチ引き千切ってきたらしい。戻ってきたオーナーが、「どう? いい感じ?」とシンクを覗き込む。

 

後脚の方が、ステーキなんかになるいいお肉が取れる。解体、というと仰々しいが、筋肉ごとにパーツ分けして、筋膜や脂肪を切り取って、お肉をきれいにわけていく作業。左手にゴム手袋、右手にペティナイフ。汚れを取りながら、表面の膜をはがしていく。うまくやれるとペリペリはがれて、ナイフを使わなくても指の力だけで部位ごとにわけられる。私は乾いた糊とか、はがれかけのマニキュアをはがすのが好き。楽しくなってきた。

 

「肉捌きハイになってきた?」と聞かれる。肉捌きハイ、なんですかそれは。「ランナーズハイとか言うでしょ。ゾーンに入るってやつ」私は長距離走も運動もきらいだからゾーンがわからないけど、かれこれ数時間肉の解体をしていた。気づけばすっかりお腹が空いている。一旦ご飯食べていいよ、と言われ、ひとまずクスクスを食べる。

 

よし、解体に戻る。なんとなくパーツごとにわけられた、気がする。肉をはがした骨をシンクに避ける。オーナーに、「お、いいね、きれいじゃん」と褒められた。鹿の後脚の骨をきれいにはがして褒められた人間は今日この世にどれくらいいるんだろう。去年は、手順を説明されても全然わからなかった。今もわかるかと言われたら自信はないけど、後脚の骨は綺麗だったらしい。うれしい。

 

「もし雪山で雪崩に巻き込まれて脚怪我して遭難してさ、脚はもうダメだってなったら、自分で解体して食えるよ」と言われる。そんな事態には巻き込まれたくないな。でももしそうなったとき、何もできないよりできる方がいい。

 

一度水につけておいた肝臓を洗い直す。「うん、それくらいでいいよ。きれいなとこわけて冷蔵庫入れといて。崩れてるとこも食べれるから、料理して食べちゃっていいよ」え、いいの? レバニラ、いや炒めるのは自信がない。

 

とりあえずサイコロ状に刻んで、塩コショウしてローズマリーを千切ってまぶす。小さい鍋にオリーブオイルを回し入れて、十分に熱くなったらレバーを入れて焼く。なんちゃってアヒージョ。皿洗いやら片付けを済ませて食べてみる。血をもうちょっときれいに洗えばよかったかな。オーナーが作るコンフィやらアヒージョより雑味がある気がする。うん、でも悪くないかも。

 

どうだ、私は鹿の解体に物怖じしない女、とひとりごちる。瓶の蓋は開けられないし玉ねぎのスライスはゆっくりしかできないけど、鹿の脚は捌けるし肝臓の下処理もできる。いのちを食らって、今日も生きている。

 

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