二階堂ふみが金魚に!願い続けてきた赤子を演じ「気持ちがいっぱい」【東京国際文芸フェスティバル2016】

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赤子を連想させる装いで登壇した二階堂ふみさん

 

1959年に発表された小説『蜜のあわれ』(室生犀星)の作中で、金魚の赤子は飼い主である老作家(「おじさま」)にこう話す。

 

 

あたいね、おじさま、
途中で思い出して丸ビルまで急に行ってみたのよ。
(中略)
此間からあたい、歯が痛い痛いって言っていたでしょう、
だから雨がふると困ると思って、
七階のバトラー歯科医院まで思い切って行っちゃった。

 

丸ビル7階の歯科医院に、赤子はふらりと足を運んだことを老作家に知らせる。
以上は小説のワンシーン。

 

時は流れて2016年3月2日、丸ビル、7階。
そこには、一身にフラッシュを浴びる赤子がいた。

 

3月2日丸ビル7階にて映画『蜜のあわれ』完成披露試写会が行われ、上映後石井岳龍監督と主演の二階堂ふみさん、特別ゲストの歌人・穂村弘さん3名のトークショーが行われた。本イベントは東京国際文芸フェスの一環として開催され、三名それぞれが原作に対する思いや、映画のみどころを語った。

 

原作は、室生犀星の晩年の中編小説で、老作家と金魚の赤子の幻想的な会話劇。
ファンタジックな要素が満載な作品だ。

 

 

赤子を演じる二階堂ふみさんは、この日は金魚のひれを思わせるような薄手のピンク色のトップスに、青いスカートで登場。インタビュアーに金魚を意識したのかと聞かれ、「(蜜のあわれの)イベントの度に全部赤(の衣装)にしていました。実は寒かったです」と薄手の衣装を着用する時の本音もポツリ。

 

会場を和ませつつも、「原作は高校生の時に読んでいた。いつか絶対に赤子を演じたいと思っていた」と言葉を噛みしめるように話し、「気持ちがいっぱい」と長年の願いが形になった喜びをあらわにした。

 

また、二階堂さんは赤子を演じるうえで「言葉に意味をもたせないようにした」ことを明かし、「動きは止まらないように、動き続けるような感じに。子どもの動きを参考にした」と、掴みどころのない赤子を演じるうえでの裏話を語った。

 

穂村さんは、「(実写化と聞いて)びっくり。金魚であり人間であるというのは言葉だから出来ること。」と驚きを隠さなかった。また、「生身の映像化に挑むことは、(読者が)心で作り上げた理想との戦い」と制作側の覚悟を推し量った。

 

また映画の感想について「もともと原作でもいちゃいちゃしている話だが、(実写も)命がけでいちゃいちゃする感じがでていた」「原作の魅力は捨て身であること、映画でも老作家の「恥も外聞もない」台詞に(捨て身である様子が)表れていた」と述べた。原作の持つ魅力を保ちつつも、「芥川(龍之介・高良健吾さん)が出てきたのはびっくり。しかも美しい」と映画ならではの展開に意表を突かれた様子をみせた。

 

石井監督は、「タイトルがとっても好き。金魚も老作家も長く生きられないという「あわれ(=無常)」を感じて、それによって引き立つ「蜜」。そんな映画にしたい。ベストなキャストで出来て嬉しい」と語った。また、「特殊な世界観がほころばないように意識し、この世界にふさわしいキャラクターを登場させるようにした」と、キャラクター造形や演出の意図について明かした。

 

*

 

原作を読んでいた筆者としては、赤子の魅力は、艷やかでありながら、どこか幼さを残すアンバランスさにあると感じていた。スクリーンの中では、そのアンバランスさを携えて縦横無尽に泳ぎまわる赤子の姿があり、「二階堂さんこそ赤子の申し子、、、!!!」と釘付けになった。

 

反面、あまりに室生犀星本人を彷彿とさせる老作家(大杉漣)のビジュアルと、実際に犀星と親交のあった芥川の登場にリアリティを感じ、一つの幻想的なフィクションの世界観に浸りきれなかったというのが正直なところ。

 

とはいえ、原作をそのまま踏襲することが正しい、というわけではない。穂村さんが「原作の空気感をこえた作品であり、原作を読んで気付くこともある」と言うように、映画だからこそ際立つ作品の魅力も満載。

 

この春は劇場と原作、どちらの『蜜のあわれ』も楽しめるまたとないチャンス。この際セットで赤子に翻弄されてみてはいかが。(取材・文 ささ山もも子)

 

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「ずっと演じたかった」という赤子への思いを語る二階堂さん(左)。隣はゲストの穂村さん。

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左から石井岳龍監督、二階堂さん、穂村弘さん

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