2016年8月20日~11月29日にかけて、福岡県小郡市の野田宇太郎文学資料館にて企画展「蒲原有明――近代詩の先駆者――」が開催された。また特別企画として「清家雪子氏 描き下ろし漫画作品展示」も行われ、『月に吠えらんねえ』のスピンオフとも言える描き下ろし作品がここだけで展示された。
――と何食わぬ顔で書いたものの、白状しよう。私が上記の展示イベント情報を知ったのは『月に吠えらんねえ』の公式Twitterだったのだが、そこに記載されていたのはピンと来ないキーワードだらけだったのだ。
「小郡市、とは……?」
「野田宇太郎文学資料館、とは……?」
「野田宇太郎なのに、なぜ蒲原有明展……?」
とにかく無数の疑問と興味が沸いてきたのである。これは、行くしかない。行って自分の目で確かめて来よう。そう決意し、展示期間も間もなく終了という11月下旬、初雪で荒れる東京を後に、福岡県小郡市にある野田宇太郎文学資料館へ飛び立った。
野田宇太郎の遺言で設立された文学資料館
野田宇太郎文学資料館は博多駅から1時間弱。甘木鉄道「大板井駅」から徒歩約3分、小郡市立図書館内にある。資料館内には近代文学の名著の初版本や文芸雑誌、詩人・作家の直筆原稿や書簡、野田が文学散歩で収集した文献、古地図、記録写真などが展示されている。
資料館の名前にもなっている野田宇太郎は、小郡出身の詩人であり、文学誌編集者であり、文学ゆかりの地を巡る文学散歩の創始者でもある。実は資料館は、彼の遺言によって設立された。貴重な文学資料をたくさん保有していた野田が、「私が持っている資料は公共のもの。故郷に文学館を作り、たくさんの人に見てもらうように」と寄贈した資料をもとに、開館に至ったのだ。
一方、今回の展示の主役である蒲原有明(1876~1952年)は、日本の象徴詩を完成させた詩人と言われ、後世に与えたその功績の影響は計り知れない。萩原朔太郎も、「崇拝する唯一の詩人」として有明の名を挙げているほどである。
しかし、なぜ野田宇太郎文学資料館で、蒲原有明展が開催されるのか。二人はどういった関係性があるのだろう。学芸員の渡邉さんと、司書の山部さんにお話を伺った。
蒲原有明に再び脚光を!企画展に込められた思い
「蒲原有明は、生涯を通じて評価されていた詩人ではなかったんです」と渡邉さん。1908年に発表した『有明集』は、当時の詩壇で流行していた自然主義から外れていたため、酷評されることもしばしば。そのため蒲原は、生来の気弱さと病気による体力・気力の衰えが重なり、断筆に近い状態に入ってしまう。
そんな蒲原に再度脚光を当てたのが、野田だった。蒲原を敬愛していた野田は、自身が編集する雑誌に執筆依頼をするなど、その才能を再び世に知らしめるべく支え続けた。実は今回の企画展も、蒲原と野田をつなぐ新資料が見つかったのをきっかけに、開催に至ったという。
「蒲原有明に関する資料は、野田が蒲原の遺族から託されていたので、大体はこの文学資料館にありました。けれど平成26年度と27年度に、野田宛の蒲原自筆の書簡が3通と、野田が蒲原有明について書いた原稿が新しく見つかったんです。これは何かの思し召しかと思いました」(渡邉さん)
野田の遺志を継いで、この平成の時代に、もう一度蒲原に脚光を当てたい。そんな思いが、今回の蒲原有明展に込められているという。
展示室内には、新収蔵の書簡はもちろん、蒲原の生涯を追った年表や自筆原稿、初版本や筆談メモまで、貴重な資料がたっぷりと展示されている。また、蒲原に影響を受けた人物として、北原白秋・三木露風・萩原朔太郎の三詩人の紹介コーナーも。