9月16日(土)、前橋文学館にて、萩原朔美館長と『月に吠えらんねえ』作者の清家雪子先生の公開対談が行われた。本イベントは、「詩集『月に吠える』100年記念展――ここからすべてがはじまった」および『月に吠えらんねえ』展の特別企画として開催。
もともとは先着100名限定だったが、応募者が殺到してすぐ定員に達したため、会場の外に映像観覧席が急遽設けられたほどの盛況具合だった。
対談開始時刻になると、朔美館長と清家先生が登壇。向かって左手には萩原朔太郎の血筋を引く朔美館長。そしてその隣には萩原朔太郎の作品から受け取ったインスピレーションに命を吹き込み、朔くんを生み出した清家先生。そんなお二人の共演が目の前で現実に……。改めてすごい企画だ。
対談開始直後、朔美館長は若い女性が大半の会場をぐるりと見渡し、「(企画展の開催以来)こんな風に毎日若い世代の人が来てくれているのは、前橋文学館ができて以来初めて。本当に励みになります」と笑顔でコメント。清家先生も、「朔太郎記念館が文学館の近くに移ってから初めて(前橋文学館に)来ました」と感慨深げな様子だった。
和やかな雰囲気で対談が始まるかと思いきや、朔美館長はいきなり「今日は清家先生の秘密を暴いていきます!」と宣言。何を隠そう朔美館長は「文学館に必要なのはハードロック」がモットー。既定路線をどこまでぶち壊すのでしょうか……と勝手にドキドキしつつも、まずは『月に吠えらんねえ』の構想のお話に。
漫画家になる前には学者を目指していた
朔美館長の「この漫画を描いたきっかけは?」という質問に、「本当に思いつきなんです」と答える清家先生。大学時代に図書館の本をすべて読破しようと思い立ち、日本の近代詩も手に取っていく中で、朔太郎に最も強く引かれたという。そのときの記憶が突然よみがえり、「月に吠えらんねえ」の構想になったことを明かした。
それを受けて朔美館長は、「18歳の頃に朔太郎の詩を読んで良いと思ったの!? 珍しいですね」と驚いた様子。清家先生は、同時期に哲学やドイツの詩も好んで読まれていたそうで、「朔太郎さんの好きなニーチェやショーペンハウエルも好きでした。朔太郎さんとも通じる、暗い感じのものが好きだったのかもしれないです」と振り返る。
そして話題は、『月に吠えらんねえ』展でも紹介されている、おびただしい参考文献の話題に。「あれだけの参考文献を読むなんて、学者のようですよね」と言う朔美館長に、清家先生は本当に学者を目指していたことを明かす。
「学生時代は日本史の研究をしていました。本を読むことや、学ぶことが面白くて。ただ、『研究』と『なんでも本を読むこと』は全然違う世界でした。こっち(研究)じゃないと思ったときに、次に好きなものは漫画だと思い、『月刊アフタヌーン』に投稿したら、運良く賞をもらえたんです」と、漫画家デビューを果たした当時を振り返った。
朔美館長も気になる!月吠えの結末は…
続いて、キャラクター造形にあたってどのくらいの本を読んでいるのか、という朔美館長の質問に、「キャラとして登場していて、全集が出ている人は全部読んでいます」と清家先生。これには会場も騒然!「半端な量じゃないですよ! 清家さんが神々しく見えてきますね」と朔美館長も唖然としていた。
清家先生によると、「月に吠えらんねえ」のキャラクターのインスピレーション元は、文学作品だけでなく、随筆も日記もすべて入っている全集の印象なのだという。
すると、朔美館長が「犀は何で顔がないの?」と核心に迫り、会場がザワつく場面も。しかし清家先生は動じず、「そこは犀星さんの詩のイメージというよりは、漫画の物語上の仕掛けですね。理由は追々明かされますので、楽しみにしていてください」とやんわりかわしていた。
その後も朔美館長は、「最後どうなるんですか?」「朔は死にます?」「たぶん死ぬな」と、結末が気になって仕方がない様子。清家先生は最後まで、「どうでしょう?」と笑顔ではぐらかしていた。
また、クリエイター同士の視点で明かされる制作裏話もたっぷり。「昔のフランス映画を一時期よく観ていた」という清家先生から、映画のカット割を漫画で真似していたというお話が出ると、朔美館長は「背中の場面がよく出てくるから、背中が好きなのかなと思った」と指摘する。
それを受けて、清家先生は「指先や足のアップも多いと思います。あと会話する場面が多いので、飽きさせないように。カメラをここに置いて、とか考えますね」と回答。
「サイパンの場面では、サイパン戦で実際に使われている兵器を出していますが、一方でその時代にないものをふつうに描いていたりする」と、ご自身でもこだわるポイントがわからないと話す清家先生。普段はあまり聞けない作画の話に、会場中が引き込まれる。