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「月に吠える」には近づかないようにしていたんだよね
―本日はお時間を取っていただき、ありがとうございました。プチ文壇バー「月に吠える」のことはご存知でしたか?
知っていましたよ。友達と「すげー店名だな」「どんな奴がやってるんだよ、これ」とか言いながら通り過ぎていたので。あんまり近づかないようにしていたんだよね(爆笑)。
―そうだったのですね。文学賞で「月に吠える」の名前を勝手に使ってしまい、すみませんでした! ……その、怒ってらっしゃいますか?
いえいえ、別に。そういうことはないよ(爆笑)。
―本当ですか! では、許可していただけますでしょうか?
ははは、私にそういう権利があるわけではないからね。
不幸なことをネタにできるなんて幸せだよね
―ありがとうございます! では話題を変えまして、朔美さんはマルチな活動をされていますが、表現の原点はどんなことだと考えていますか?
表現っていうのは、人の心を動かす仕事だからさ。その点では、人を救うことでもあるじゃない。だけどさ、実は同時に自分を救うことでもあるんだよね。自分に不幸が降りかかったとき、作品化することで救うことができる。そのことがすごく重要じゃないかって思うんだよね。
だから、悩みの多い人とか、解決のつかない心の問題を持っている人とか、社会や世間と折り合っていけない人たちがさ、自分のことを表現して、共感を持って人に読まれる幸せを味わうと同時に、表現によって自分を救っていたんだって気付くのは良いことだよね。
不幸が降りかかったとき、表現っていう手段を持たなかったら、ずっと引きずっていかなくちゃならないけど、作品化すると客観的に眺めざるを得ない。いわばネタとして扱うわけよ。僕も父親が死んで一冊、母親が死んで一冊本書いたのね。あれによって、ずいぶん救われたんじゃないかって思うよね。
あと僕は治らない病気で、左目が見えなくなったんだけど、これを救うにはネタにするしかないわけ。それで三本も作品作っちゃったけどさ、やっぱり救われるんだよね。もしかしたら全盲になるってこともかなりの確率であるんだけど、おいしいネタだよ。作品にしたら、バッチリ同情されるから(笑)。自分の身に起きた不幸なことをネタにできるなんて幸せなことだよね。
―自分の不幸を救う一方で、楽しいことや腹の立つことも表現の素材になりえますか?
そうだね、全てがそうだもんね。お芝居だってさ、これは笑わそう、これは怒らそう、これは共感を持たそう、同情してもらおう、考えるきっかけにさせようとか思うじゃない。それをテーマに作っていくわけだからさ。そういう意味では、人の心を動かす作業をしていれば、表現力がどうしても増すよね。
だから文章も、長く書き続けていくことだよね。自分は書く人だと常に自覚していれば、出来事は全てネタになるからさ。カメラマンが常にカメラを持ってるのと同じだよね。
うちの近所に天才アラーキー(荒木経惟)が住んでて、道で三回くらい会ったことがあるんだけど、あんなに売れっ子でもカメラを持ちながら歩いてんだよね。その姿を見て、カメラマンってどんなところに行くのでもカメラ持ってるんだなあ、って気が付かされるのよ。あの人は特に、日常生活は全部ネタだと思ってるから。
自分が天才って言うだけあってさ、すべからく、散歩しようが駅まで行こうが持ってるんだよね。家に帰ったって撮ってるんだから。僕が犬の散歩してて、ぱっと上見たら、アラーキーが自宅から下を通る人を勝手に撮ってるんだよ。「変な人が上から写真を撮ってる!」って近所の人に通報されたんだよオレ、とか言ってたもん。それでも彼にとってみれば、知ったことじゃございませんってね。