【3/4】朔太郎さんに謝りたい!~勝手に名前を使ってごめんなさい~

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※前回の記事はこちら

 

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学業不良の奴でも本は書ける

 

―表現にもやはり技術が必要かと思いますが、磨くコツはありますか?

 

同情心を呼ぼうって思うことが、表現の上手くなるコツなんだよね。文章でも、人の心を動かそうとするスケベ根性が出てくるじゃない。「ここで泣かそう」って思って書いているわけだからさ。それが文章がうまくなるコツだね。

 

あと文章の場合は、人に読んでもらうって思うと明らかに上手くなる。大学の課題とかで、ただ出せばいいんだって気持ちで書いていると上手くならない。うちのおふくろ(作家の故・萩原葉子)が夜間の大学に通っていたときに、課題で出した文章が死後見つかったんだけど、すごく下手なの。

 

ところが同じ内容を同人雑誌でも書いているんだけど、格段に上手い。見事なんだよね。それは合評会で読まされるからで、人に伝わるように書こうって気持ちになっているからなんだ。だから、書いたものは自分で溜めるんじゃなくて、人前にさらした方がいいよね。

 

 

―自分だけで完結せず、人に見てもらって意見を聞くことが大事なのですね。

 

文章は誰でも書けると思う。文章修業なんてさ、繰り返しやればいいんだからさ。そんなものはあなた、漢字なんか知らなくても書けるんだから。僕だって、漢字なんかずっと零点でさ。俺の国語の零点のテストを母親が取っといててさ、嫌んなっちゃってさ。その学業不良の奴でも本が書けるんだよ。

 

僕は25歳くらいのときに生まれて初めて文章を書いたんだよね。「婦人公論」って雑誌だった。母親が小説家だし、おじいさんが詩人だから文章書けるだろって頼まれたんだよ。それで生まれて初めて書いたの、原稿用紙20枚。漢字が書けないから国語辞典を買って、コクヨの原稿用紙を買って、鉛筆と消しゴムを買って。「てにをは」も分からないわけよ。それでさ、本当に辞書を引きつつ書いたのよ。そしたら書けるのよ。ハガキとか作文を書いたことが無いやつでも書けるんだよ、チャンスを与えられれば。

 

母親もね、40歳から書き始めてるから、小説を。それまで彼女も手紙一本書かない女だったんだから。それが、山岸外史っていう太宰治研究の人が近所に住んでて、同人誌をやってて、お袋に書かないかって誘ったの。それで生まれて初めて書いた。書けるじゃんってことでさ、本出しちゃうんだからさ、幸せだよね。

 

僕もそれ一本頼まれて書いて、そしたらまた頼まれるようになったわけ。頼まれるから、国語辞典を引いて四苦八苦しながら書く。それで本を出せたの。25、6のガキがさ、生まれて初めて本出して、本当に嬉しかったね。そういう意味では誰でも書けるんだよ。

 

 

表現とは「炭鉱のカナリヤ」になること

 

―ほかに創作で大事にしていることはあれば教えてください

 

私たちが今生きているこの時代は何なのか、ってことを、自分なりに分析して言えなきゃいけないんじゃないかな、って思うね。その答えが、いわば表現の出発点ではないのかな。

 

授業でもね、今の時代は何って生徒に聞いたら、色んなことを言うのよ。「リメイクの時代です」って言ったならば、じゃあ何でそうなのかって発表させてるのよ。それは自分が察知していることだし、常に考えなくちゃいけないことなんじゃないかって気がするけどね。あと表現するってことはさ、どっかで炭鉱のカナリヤになるんだよね。

 

 

―炭鉱のカナリヤ、ですか?

 

炭鉱を掘るときさ、最初にカナリヤを持っていくじゃない。ガスが出てくるかもしれないから。最初に悪いものを察知する。なんか危ないんじゃないか、っていうカナリア的な部分を持ってなくちゃいけないんじゃないかっていう。

 

なんかさ、時代が今危ない方に行ってるんじゃないかって察知したり、人の心がこんなに捻じ曲がってるのは危ないんじゃないかって思ったりする、危険を察知する能力はどうしても必要な気がするけどね。どうも人間は悪い方向に行ってるんじゃないかって思ったならば、そのことを表現に生かすっていうかさ。

 

 

―色々な創作論を伺いましたが、その一方、表現をビジネスにするにはまた違った難しさがある気がします

 

そうだね。先に商売にしようとするとダメだよね。生きていることそのものが、自然に商売になっちゃうってところまで行けば楽勝だよね。全て露呈して書き続ければいいんじゃないの。飽きられるくらいに書き続けて、出すことは全部出しちゃってさ。人物の全てが表現になっちゃうってところまで持っていけばいいんだよな、書く人も。悪趣味だなと思ったって何だって書いちゃうとかね。(取材・文 コエヌマカズユキ)

 

次回に続きます