【エピソード6】壁一面に本棚のあるゲストハウス 旅人たちそれぞれの物語

子供の頃から、旅に出るときは本を一冊カバンに忍ばせていた。旅と本はいつもセットだ。25歳になった私は、思い立って仕事を辞めて、壁一面の本棚があるゲストハウスで働くことになった。長野市にある、カフェバーを併設した、町にひらかれたゲストハウスPise(ピセ)。

 

ここには毎日、いろんな人が集まってくる。旅人、移住者、学生、傷心の人、現実逃避がしたい人、地元の人々。人が混ざり合うこの場所では、日々ドラマが生まれる。私にとっては「いつもの場所」、訪れる人にとっては「非日常」なこの場所で生まれる、人と本との出会いを綴っていこうと思う。

目次

自分の両足で立つ

自分の居場所があらかじめ用意されている人なんていないから。いるように見えたとしたら、それはきっとその人が自分の居場所を手に入れた経緯なり何なりを、見てないだけ(『今日のハチミツ、あしたの私(寺地はるな)』

親友のみすずちゃんから一冊の本を勧められた。

生き方と土地の話なの。この本を読んで、風音ちゃんを思い出したよ。ネタバレしないように言えないけど、読み終わったら言いたいことがある」

相変わらず部屋の本棚には積読本が溜まっているけれど、本にも読みどきというか旬がある。なるほどこれはきっと今読むべき本だ。さっそく町の本屋さんに取り置きをお願いして待つこと数日。

長い長い長野の冬はようやく雪解けを迎え、本が届いた頃には公園のベンチで読書が出来るくらい暖かくなった。出勤前にピセの隣の公園に通い詰めては読み進める。

主人公の碧(みどり)は30歳。仕事を辞め、恋人の故郷に移住する。恋人の父親の会社で働きつつのんびり2人で田舎暮らしをするはずが、彼の実家に到着して間もなく問答無用で恋人の父親に家を追い出され、知らない土地で一から生活することになる。「食べること」を通して、「人との関わり方」に向き合い、その土地で居場所を作っていく碧。彼女は自分の居場所を作りながら、知らず知らずのうちにまわりの人の居場所をも作っていく。

少し前までの私はやりたいことがあまりなく、その時々の恋人のしたいことや夢、例えば海の近くで暮らすこと、彼の生まれ故郷の南国で生きていくこと、バンを買って改装して北米を横断することなどを、自分のしたいことだと思いこんで自分の空っぽさを埋めていた。

ある日ふと、私は選択を人のタイミングに合わせてばかりだな、あれ、これは誰の人生なんだっけ? と気づいた。ちょうどその時ピセの求人を見つけた私は、誰も知らない土地でゼロからやり直してみたくなってこの町に飛び込んできた。自分の足で、自分の、出会った人々の居場所を作っていく碧の姿はすっかり私に重なった。

親友に、読み終わったよ! 言いたいことって何だった? と聞いたら、「忘れた!!」と返事がきた。忘れないで!? 思い出したらまた教えてね。なんにせよ読んで良かった。

それにしても、主人公の親友、真百合は彼女に似ているなと思った。電話の声がいつもと違うと、ぱっと会いに駆けつける。気持ちを抑えがちな碧に代わって、大声で怒鳴って全身で怒る。丁寧に言葉を選んで、まっすぐ碧に語りかける。

「運が良かったんじゃないよ。その人たちと会えたのは偶然かもしれないけど、会えただけで終わらせなかったのは、それは碧が~中略~碧が、行動したからだよ。碧の良いところがその人たちに伝わったからだよ。全部、あんたが自分の手で勝ち取ったもんだよ」

「居場所」というのは、場所だけを指すわけではない。人との関係性も居場所になりえる。本のページを捲るうちに私のことを思い出した彼女の中にも、たしかに私の居場所がある。

読み終わってから数日後、長野に来る前に暮らしていた町の友人が、はるばるピセに遊びに来た。顔を見て早々、「おー、元気そうだね! 前見たときより顔がイキイキしてるなぁ」と言われてなんだかうれしい。

その日はいろんな友人がふらっと遊びに来て、カウンターで居合わせた人たちを彼に紹介していくと、「風音は長野でも相変わらず色んな人集めて繋げて混ぜてるねぇ」と笑われた。

初めて自分の意思で選んで来た町で、優しい人たちに出会い、支えてもらいながら自分の足で立つ生活はずいぶんと気分がいい。

違う世界へ連れて行って

 ここにいることに理由なんてないのよ。多少楽しくしてるだけ。だからいつでも帰れるわ (『落下する夕方(江國香織)』 

「休みの日に、違う世界に行けるような本が読みたいです」

雪解けの頃からピセに通ってくれるようになった女の子。趣味、というより好きなことを見つけたいらしい。コロナが流行り出して、前ほど頻繁に人と出掛けなくなり、ふと私ってなにが好きなんだろう? と自分を見つめ直した彼女は、気になるお店に1人で足を運び、新しい世界を見つけて行っている最中だという。

「休みの日だし、お酒飲んじゃおうかな。せっかくなら飲んだことないのがいいです」杏が好きだというので、アプリコットフィズを出した。カウンター越しにしばらく喋る。最近新しく始めたこと、これから始めたいこと。昔はよく小説を読んでいたけれど最近は全然というので、気になる本があったら貸すよ、と本棚に一緒に移動する。

「どういう本を読みたい?」と聞いてみる。そうですね、いつ読むかも考えないといけませんよね、と少し考え込んだ彼女は、パッと顔を上げて「休みの日に、違う世界に行ける本が読みたいです」と答えた。

違う世界に行ける本。これはまた選びがいのあるお題だなぁ。本棚に目を滑らせる。左端、目に止まった一冊。そうだ、これがあった。ちょうど今みたいに、知り合いたての子にお勧めしてもらった本だ。

江國香織さんの『落下する夕方』。恋人を探してマッチングアプリに登録していた私は、同性でプロフィールに、「江國香織さんが好きです」と書いている女の子を見つけて私からメッセージを送った。転勤で長野に来たばかりの子で、お茶でもしましょうと、近くのカフェで待ち合わせをした。カフェではミモザのリースを作るワークショップをやった直後だったようで、そこかしこにこんもりと黄色いミモザが飾ってあったのを覚えている。髪の長い、華奢な女の子だった。たしか同い年か一つ下。

「自由に、やりたいように生きてたら、それが良いってついてきてくれる人がいるよ。絶対いる」と言われて、なんだか元気が出た。何度かご飯に行って、一度ピセにも来てくれた。転勤で西の方へ行ってしまったけれど、会うたびに明るい方を向ける子だった。

彼女が、江國香織さんに本の中でも特にこれがおすすめ、と教えてくれた。素敵だなぁと思う子が好きだという本はつい読みたくなってしまうものだ。

私の中で、日常の息抜きとして読みたい小説と、他の色んなことを忘れて、読むことしか考えられなくなる小説がある。これは完全に後者だった。「あ、これは持っていかれる」と思った頃にはもう夢中になってしまっていた。

8年付き合った恋人と別れた主人公・梨果の元に、元彼の新しい恋人・華子がやってくる。奇妙なのに不思議と心地が良い三角関係。奔放で、素直で、でもどこか寂しそうで、放っておけない華子。すっかり華子の不思議な魅力に取りつかれてしまった。

本棚から『落下する夕方』を抜き取って彼女に手渡す。きっと華子が振り回してくれるよ。時間あるならカウンターでちょっと読んでいきな、気に入らなかったらまた違う本を探そう。

読んでみます、と本を手に取り、カウンターに戻った彼女はゆっくりページを捲り出した。しばらくして、「どう?」と声をかける。返事がない。すっかり没頭している。身体ごと違う世界にいくのはなかなか難しい。でも、心だけなら案外簡単なのだ。

雨の日の寄り道

会いたい人には会えるうちに。食べたいものは食べたいときに。さぁどうぞ、おはやめに、お召し上がりください。だって いつもは、いつまでもじゃないんだから(『味な店(平野紗季子)』

雨だった。一気に満開になった桜はきっとこれで散る。一昨日の昼に昨日の夜、今日の朝。駆け込みで花見をしてよかった。

「この雨なら誰も来ないかもね。今日早上がりにしちゃおっか」とオーナーに言われた。木曜日。ずっと気になっていた、月木の夜だけやっている喫茶店に、今日なら行ける。

原稿が一つ終わっていない。ここ数日かじりついてやっていて、全然進まない。喫茶店に行っている場合か? 携帯でも書けるか。珈琲飲みながらやれるだけやって帰ろう。雨の日に、夜しかやっていない喫茶店に行くって人生のイベントとして絶対にいい。

雨の中お店に向かう。横を通った車に思い切り水をかけられる。これでお店やってなかったら凹むな。明かりがついていてほっとする。ドアを開けて、うわ、うわーこれは。こんなの好きになっちゃう! の感じを対人間にしばらく抱いていないんだけど、空間にときめいちゃうことってあるんだなぁ。ごちゃついた、でもなんか落ち着く店内の真ん中の黒板にでっかく”GOOD LIFE”と書いてある。CDプレーヤーから聞き覚えのあるカントリーソングが流れている。

座った席の目の前に「おすすめスイーツレトロプリン スパイスorシナモン」と書いたコーヒーフィルターが貼ってある。プリンにスパイス。これなんですか、と聞いたら長野の老舗七味メーカー、八幡屋礒五郎のガラムマサラが出てきた。なるほど。とりあえず頼む。コーヒーか迷ってカフェラテにする。長野に来てからブラックコーヒーが飲めるようになったのに、初めてきた店でカフェラテを注文する癖が抜けない。

注文を待つ間、マスターとすこしおしゃべりする。「地元の方ですか?」と聞かれ、近くのゲストハウスで働き始めて一年が経ったこと、長野が気に入り、腰を据えて暮らしてみようかと住み込みをやめてシェアハウスに移ったことを伝える。

手元にあった本を開いてみる。『味な店』。1ページ目の見開きに「会いたい人には会えるうちに。食べたいものは食べたいときに。さぁどうぞ、おはやめに、お召し上がりください。だって いつもは、いつまでもじゃないんだから」と書いてあった。これってたしかに人に限らない。こんな職場から徒歩数分のお店に足を運ぶまで一年半もかかってしまった。入った瞬間、あ、好き、てわかってしまうお店だったのに。

原稿をここでやる気がすっかりなくなって、そのまま本を読む。ページを捲って、またあの鼻の奥がツーンと来る感じ。待ってこの人の書く文章めちゃめちゃ好き。全然原稿書けなくて、もうどうすんのこれって半泣きになっていたのに。なにこれ私もこんなの書きたい。全部読んで取り込みたい。悔しさと嬉しさとやる気。

プリンは食レポが得意でないので割愛。一口食べて、プリン好きな友だちに、ぜひ食べに行ってと連絡した。

「今日プリンあるー?」と女の人が入ってきた。2つあけて隣の席に座った。話が耳に入ってくる。今の家を出なきゃいけないらしい。話を聞いていたマスターが、「お姉さんはどうですか? シェアハウス暮らし」と私の方を見た。「楽しいですよ」と答える前に、「いま二部屋空いてるんです」が先に口から出た。トントン拍子で二日後に内見が決まる。事実は小説より奇なり、なんてよく言ったもので、なんだこの人生は。よく出来すぎじゃない?お部屋が決まっても決まらなくても、雨の夜の出来事として。

閉店時間だったので店を出る。大好きなYUKIの新曲が出ていたので聴きながら歩く。エンディングテーマまで最高だなぁ、今日。すごいや。


旅に正解なんてない。旅程をつめて、観光名所を周り、名物を食べ尽くす。それも旅だ。宿や、ふらっと入った喫茶店に籠り、だらだら本を読む。それも旅。自分の部屋で読んでも響かない一節が、旅先では違って見えることもある。

旅は自分の体を遠くへ連れて行ってくれる。本を開けば心を遠くへ連れていける。旅に出ても、いつかは帰ってこないといけないし、どれだけ本に没頭しても、ページから顔を上げれば生活は続いていく。それでも人は今日も旅に出るし本を開くのだ。(文 風音)

ゲストハウス&バーPise

長野県長野市東後町2−1

WEBサイト:https://nagano-guesthouse.com

インスタグラム:https://www.instagram.com/guesthouse_pise_nagano

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