【前編】「短歌で天下を取る、時代を作る」歌人・初谷むいが語る壮大な野望

歌人・初谷むいさん

 

「短歌で天下を取りたいんです」

ふわっとした柔らかな笑顔で、大きすぎる野望を堂々と口にする若き歌人がいます。初谷むいさんです。

 

それはたとえば、百年育てて咲く花を信じられるかみたいな話?

ーTwitterより(初谷むい)

 

五七五七七のたった31音に、さまざまな情景を閉じ込める短歌。日々のなかで消えてしまいそうな一瞬一瞬を切り取った初谷むいさんの短歌は、独特なリズムや、思わず共感したくなる生活感を捉えているのが魅力です。

 

各種メディアやSNSで意欲的に短歌を発表し続ける初谷さんに、創作過程やSNSとの付き合い方、コロナ禍を経た創作活動の変化、今後の目標などじっくり伺いました。

 

 初谷むい 

1996年生まれ。北海道育ち。高校で文芸部に所属し、短歌に出会う。北海道大学水産学部に進学し、北海道大学短歌会に所属。2018年、大学生時代に書肆侃侃房より第一歌集『花は泡、そこにいたって会いたいよ』を発刊し、発売後2週間で重版。第二歌集『わたしの嫌いな桃源郷』を2022年5月に発売予定。Twitter:@h_amui

目次

本当の意味で人はわかり合えない

第一歌集『花は泡、そこにいたって会いたいよ』

 

――2021年の年末から、ツイッター上にかなりの頻度で新作の連作をアップされていますよね。普段生活していて、ハッとその場で短歌のタネが浮かぶのでしょうか。

 

私は「こういうことを書きたい」というテーマが先に来ます。テーマになる1首ができて、そこを軸に作ることもありますが、基本的に連作であればタイトルを思いついて、呼び寄せられて短歌がポンポンポンと出てくる感じです。最近twitterで発表した10首の連作「蟹泥棒」も、タイトルが先に来て作りました。

 

またね 目を見れば話したいことなんて皆嘘になるだろうけど また

蟹を盗もう 蟹を 教室の夢の中で、あたたかく真顔で、きみはいうよ。

  ー連作「蟹泥棒」より

 

――初谷さんは、SNSで作品を発表するほかに、何気ない一言もたくさんツイートされていますよね。投稿する内容も、作品の一部として見られがちだと思いますが、それは意識していますか?

 

ツイッター、すごく好きです。見てくれる人がにこっとなるような、楽しんでほしい気持ちで投稿していますが、難しい部分もあります。私の場合、筆名として「初谷むい」を作った時点で創作自我が生まれました。「私」と「初谷むい」は別で、本名では恥ずかしいことや書けないことも、「初谷むい」はちゃんと書く、みたいな。

 

だから、元気でいる「私」や、ちょっと落ち込んでいる「私」がツイートに反映されるのは、創作者側の自我である「初谷むい」としてはややこしい。生身の人格である「私」と、「初谷むい」がわけきれない感じで。安定して面白くいたいけれど、元気じゃ無い「私」に引きずられてしまうこともあります。

 

 

――SNSの発言を「初谷むい」の言葉として捉えられるように、短歌も読み手に解釈が大きく委ねられると思います。自分の歌を、読み手がおのおの解釈して「共感」あるいは 「作者が意図しない解釈」をすることをどう感じますか?

 

意思を持った発言を、違う方向で解釈されると「それは違う」と思うけれど、短歌など創作として作ったものを、意図と違う読み方をされることは、良くも悪くも何とも思いません。

 

「わかる」とよく人は言うけれど、本当の意味で人と人がわかり合えることはないと思っていて。たとえば、私は恋愛をテーマに書くことが好きなんですが、共通認識のように「恋愛」という言葉を使ったとしても、それぞれ考え方も感じ方も違いますよね。「わかる」といってもわかり合えないし、「わからない」といってもどこか共鳴している部分もある。

 

私の短歌を読んで誰かが何かを考えてくれた、というのは尊くてありがたいけれど、思った通りに読んでもらえなくても仕方がない。それはそれで一興だと思っていますし、短歌の面白いところでもあるし。

美しさのための暴力を加えることが短歌

短歌の魅力を笑顔で語る初谷さん

 

――短歌はほかの詩に比べて「余白」が多く、受け手によって違う響き方をするのが魅力の一つだと思うのですが、初谷さんにとっての短歌の魅力はなんですか?

 

最初に感激したのは、短歌はそのときどきの感情や出来事を再現できることです。短歌って短いけれど結構長い。たとえば、上の句と下の句のブレンドで、それぞれの句だけでは無理だった 「空間の揺らぎ」を再現することができたりします。放っておけば無くなってしまうことも、短歌にすれば拾える。そして私のなかだけではなくて、誰かのなかでも似たような再現性を持つのがイケてると思います。

 

あと、短歌は「文学」だけど「音楽」であることも魅力です。シングルで出したり、アルバムにまとめたり。デジタルで出したり、アナログで出したり。発表形態が似ていますよね。一曲一曲に意味があって、アルバムとしてもコンセプトがある、というのは短歌も音楽も一緒だと思います。CDのジャケットが作品に影響を与えるように、歌集や同人誌も表紙が大事だし。

 

そして何より、短歌は短い割に、意外と長く残るかもしれない。私が死んだ後も、地球が終わらない限り1000年先までだって残るのはロマンですよね。

 

 

――創作活動として、実際にあった出来事や、自分以外の人が関わっている出来事を短歌にして「残す」行為に、身勝手さを感じることはありますか?

 

これは今、短歌界隈でアツい話題です。そもそも、歌会で短歌を個人的な話に持っていくのはマナー違反。例えば、「これを作ったのは女性だと思うけど」と評するのはNG。「作った人」と「主体」は別です。

 

短歌を作るというのは、短い箱のなかに世界をきれいにねじ込むということで、世界に対して「美しさのための暴力」を加えるということ。小鳥や猫や鹿の歌を詠むとき、その子たちに心はないの? という話になりますよね。動物だって生きているのに、人の都合と解釈で勝手に歌にしているわけで。人を出すときはさらにすごく慎重にならざるをえません。短歌を作ること自体、明確に「暴力」ですし。

 

なので私は、人のことを詠むときは、モチーフを借りるか、自分の側を詠むことで、特定の誰かの話になるのを避けるようにしています。「この人がこういうことをして面白かった」というときは、その人じゃなくて行動を詠む。「この人」を詠みたいときは、その人によって動いた自分の感情を詠むことで、個人特定を避けます。モチーフとして使うか、自分のなかの受け取りかたを軸として、対象をずらすんです。

「人生派」と「創作派」どちらが面白いか?

 

――実際の生活と創作活動は、完全にわけるようにしているんですね。

 

短歌を詠む人には、かなり雑な分類ですが「人生派」と「創作派」があると思うのですが、私は完全に創作派です。感情などはベースにしつつ、自分の人生を詠むのではなくて、世界を一から作る。ある程度「私」から離れた方が、書きたいことが書けるんです。

 

でも、作っている側にも人生があるから、結局面白いのは人生なんじゃないか? と最近は思っていて。与謝野鉄幹と与謝野晶子が歌を詠み合っていたり。最近の方だと、永田和宏さんと故・河野裕子さんご夫婦(ともに歌人)も短歌をバチバチ詠み合って人生を過ごしてきたり。人間関係が絡むのはやっぱり面白いですよね。

 

人間にはいろいろな可能性があるし、書き手と創作物は完全に分離させることはできないので、人生のニュアンスをパラパラと散らすのもおもしろいのかな、ということにも最近は関心を持っています。

 

 

――自分の人生が創作に反映される、という点で、コロナ禍による創作活動への影響はありましたか?

 

あんまり変わりませんでした。私はもともとインドアで、外に出ないタイプです。コロナ禍は家にいたほうがいいじゃないですか。外に出なきゃいけないウイルスだったら変わっていたかもしれませんが。

 

リモートの歌会が増えた、という点では変化がありました。私はそこまで参加していたわけではないけれど、全国いろんなところでリモートの歌会が開かれるようになったので、 普段会えない人たちと交流する機会が増えたのは、面白かったしありがたかったです。

 

 

――初谷さんは北海道在住ですが、住む場所に関係なく、オンラインで短歌仲間と出会うことも?

 

はい。ツイッターで面白い歌を詠む人、面白そうな人に声をかけて仲良くなることが多いですね。最近だと、東京の歌会で知り合ってツイッターを交換した、温(あたむ)さんという歌人とイルカーンというグループを作りました。

 

 

やっぱ心がほしいな♪ 片思いと両思いのあいだに立っている女の子 

ー連作「関係性」より(イルカーン)

 

普通に暮らしていたら仲良くなれないような人と、作品を見て仲良くなれるのは、ツイッタードリームがあるなと思います。(取材・文 風音)

後編に続く

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