「メンヘラの聴く音楽」と言うと、どんなミュージシャンを連想するだろう? ファンの方には申し訳なく、心外だと思われるかもしれないが、シンガーソングライターの大森靖子さんが挙がることが多い。正式に調査したわけではないが、少なくとも筆者の周りでは、事実としてそういう声を多々聞いている。
そのイメージが定着してしまい、「大森靖子さんの音楽が好き」と素直に言うと、「あ、そういう系ね……」と妙に感心させてしまう場合が多々ある。大森靖子さんのいちファンでもある筆者はそれが、とても悲しい。そこで本記事では、「言葉の魔術師」の異名を取る大森森靖子さんの歌詞の魅力を紐解くため、歌詞を3タイプに分けて分析していく。
※本記事で紹介していく歌詞はあくまで一部だけなので、全文は別途参照いただきたい
理想とかけ離れた自分の受容
最初に少々切なく、だからこそ愛おしい、言葉の羅列が美しい曲たちを紹介したい。
エンドレスダンス
オレンジジュースに突っ込んだ 小バエの羽がばたついた 生きるって超せつなかったもう好きじゃなくなったのかな ギャラ安くても言えなかった がんばっても変わらなかった 新人のレジかわいかった もう好きじゃなくなったのかな♪
コーヒータイム
逆上がりもできないまま 大人になっちゃってあたし 缶コーヒーなんか飲んじゃって やられたって感じだ
背中のジッパー
ためしに私の背中の透明なジッパーを 下ろして中をのぞいても そこにはなんにもなかった!
この3曲はかなり初期の曲で、大森さんがアコギ(アコースティックギター)一本で歌い上げる姿もまた、目を引くものがある。
オレンジジュースに飛び込んだ小バエに生きることの悲哀を見出す感性や、姿かたちだけ大人になって缶コーヒーを飲む自分に呆れる感じ。中身は子どもの頃の自分と、何も変わっていない気がするのに。極めつけは自分の背中に備え付けたジッパー。
十代の頃の、何も行動を起こしていないときの自分は、何だか特別な人間でありたくて仕方がなかった。ただ、年齢を重ねるうちに、自分は理想を語ってばかりで何も持ち合わせていないことに気づく。自分の身のほどを知るうちに、「私は空っぽだ」と痛感する。理想の自分像があるけれど、中々思うような自分にはなり切れなくて、それでもそんな自分を抱きしめて生きていく。これらの歌詞から、そんなことを感じさせられる。
続いて、大森さんの独創的な感性が光る三曲を挙げたい。
「普通」に生きられない人に向けた餞(はなむけ)
魔法が使えないなら
狂っても狂ってもちゃんとやれる 毛布を巻きつけたまんまの 身体をひきずる化け物が 現る深夜のコンビニエンスストア
音楽を捨てよ、そして音楽へ
画用紙一面の真っ赤な海も ブルーにしろって教育された 友達になりたい子ばっかなんで サヨナラも言わずに いちぬけた
TOKYO BLACK HOLE
街灯(まちあかり) はたらくおっさんで ぼくの世界がキラキラ 人が生きてるって ほら ちゃんと綺麗だったよね
精神的に参った人が、スウェット姿のまま何とか辿り着いた先が近所のコンビニ。友達になりたかったあの子は先に自殺しちゃったし、私の絵にダメ出しした教師は家族を作って幸せそうに暮らしている。
TOKYO BLACK HOLEのサビの一節を聞くと、平日夜の西新宿の高層ビル群が思い浮かぶ。沢山の人が夜遅くまで働くオフィスの灯りを俯瞰しながら、それを美しいと表現する。大森さんは、特殊なことを普遍的な言葉で表現する天才だと感心させられる曲である。
最後に、彼女の腹の底から湧き上がるパワーが溢れた歌詞を紹介して終わりたい。
どん底から這い上がるための生命力の享受
JUSTadICE
アウトサイダー 特別じゃないまま 戦わなきゃ いつの間にかの個性で なんちゃって
非国民的ヒーロー
愛する気持ちだけでは 報われなかった全てを ああ 抱きしめる そのひとつのミスで全てを否定されても怯むな 僕は ああ 非国民的ヒーロー
死神
世界の終わりなんて 僕たちはもうとっくに みたことあったんだ そう 何度も負けたけど
特別な才能も何も無くても、人は毎日どうにか生きていく必要がある。こちらが誰かを愛しても、相手も同じ密度の愛情で返してくれるとは限らない。もうこれ以上立ち上がれないのではないかと、絶望する夜もある。それでも、生きている限り必ず朝は来るし、誰かを愛さずにはいられない。どれだけ無様でも人生ハードモードでも、ほんの少しの希望がある限りは、生きることをやめられない。
彼女の音楽は、不器用な生き方しかできない私たちを全力で肯定してくれ、生きる勇気を与えてくれる。そして、何くそ負けるか、絶対に幸せになってやるという気持ちにさせてくれる。
終わりに
大森靖子さんの歌詞は、どうしようもない現実に打ちのめされた人の心を救ってくれる。個人的な経験談で恐縮だが、筆者は幾度となく眠れない夜を、大森さんの音楽に一方的に救ってもらった。
「お前なんて産むんじゃなかった」「何か思っていたイメージと違う。がっかり」「それって大人としてどうかと思うよ」。そんな言葉を浴びせられる度に、言葉って暴力だなと感じて生きてきた。同様に筆者も自分自身の言葉を凶器にして、無意識的に時には意識的に、誰かを傷つけてきたと思う。
一方で人は、誰かの言葉や存在そのものに救われることもある。歌詞を読みながら大森さんの曲を聴くと、理想とは違うありのままの自分を受け入れたくなる。嫉妬や悪意がありふれている世界を、ほんの少しだけ好きになれる気がする。いっそのこと消えてしまいたいと縮こまった心を、勇気づけてくれる。彼女は「音楽は魔法ではない」と歌う。けれど彼女の紡ぐ言葉は、魔法なんていう根拠のないまやかし以上の力を持っている、そう信じてやまない。(文 らぶそん)
※なお、「絶対彼女」や「絶対絶望絶好調」に代表される、女子の恋愛観を独自の目線で描いた曲については今回割愛した。あくまでも、大森さんのラブソング以外の曲について、彼女を以前から好きな人にとっては「そうそれ! わかるわかる、そのフレーズがいいんだよね」、彼女の音楽を知らない人にとっては「こんなにセンスのある言葉を使う、大森靖子という人の曲を聴いてみたい」と思ってもらえたら光栄である。