いつの時代もこころはおなじ。生まれ育った世界がどれだけ違っても、おなじ日本人なら、そのこころにはきっと、共通点があるはず。
教科書で読んだ日本の名作文学たちを、思い返してみてください。恋のつらさや痛い失敗、ささいなことに一喜一憂するこころ……共感したりくすっときたりしたこと、ないでしょうか? そうたとえば、現代のJPOPを聴いて、その歌詞世界に共感するように。
というわけで、文学×JPOPのなかに見出せる共通の世界について、つらつら語っていきます。
君に逢いたいけど「傘がない!」
行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ
雨に濡れて行かなくちゃ 傘がない
「歌・作詞:井上陽水/傘がない(1972)」
雨が降っている。“君”に逢いに行かなくちゃならないのに。たぶん、きっと、いま、すぐに行かなくちゃならないのに、雨が降っている。
しかも、 傘がない!
絶望です。圧倒的に絶望です。買えばいいのに。コンビニで。ていうか、濡れて行けばいいのに。傘なんかなくても。
走って行け! いますぐ!
でも、できない。なぜって傘がないから。
今回取り上げるのは、かの有名なシンガーソングライター・井上陽水が、1972年7月に出したセカンドシングル「傘がない」。
「都会では自殺する若者が増えている/今朝来た新聞の片隅に書いていた」
という衝撃的な歌いだしから始まるものの、すぐに
「だけども問題は今日の雨/傘がない」
と、一気に個人的な問題に収縮する。
Bメロではくりかえしくりかえし、
「行かなくちゃ/君に逢いに行かなくちゃ/君の街に行かなくちゃ/雨にぬれ」「行かなくちゃ/君に逢いに行かなくちゃ/君の家(うち)に行かなくちゃ/雨の中を」
と歌うくせに、最後の最後で「傘がない」としめくくる。
ここに圧倒的な絶望感、どうしようもなさを感じずにはいられません。頭上でわだかまっていた緞帳がどんっと叩きつけるように落ちてきて、あまい気配がぴしゃりと遮断されるような、そんな絶望と、どうしようもなさ。