東京から新幹線で約1時間、海と山と食とが楽しめる絶好の観光地・静岡県。熱海、伊豆、浜松、富士と有名な観光地がたくさんあります。
そんな静岡県は、文豪たちと馴染みが深いのです。今回は、品川駅から新幹線で約30分と東京からほど近い「熱海」をピックアップし、熱海でひと時を過ごした文豪たちをご紹介したいと思います。
太宰治
太宰が書いた『走れメロス』の元ネタをご存じでしょうか。
作家・檀一雄は太宰の妻・初代から、仕事先でお金がなくなったので、太宰にお金を届けてほしいと頼まれ、太宰の元へ行きました。しかし、豪遊してさらに借金をしてしまった太宰と檀。
太宰はまたお金を借りるべく、檀を置いて、菊池寛のもとに行きます。しかし、太宰は1日、2日と帰ってきませんでした。痺れを切らし、檀が太宰の元に行くと、なんと太宰は井伏鱒二と将棋を指していたのです。そのとき、太宰は檀に、有名なセリフ「待つ身が辛いかね、待たせる身が辛いかね」と言ったそう。
このエピソードが『走れメロス』の元ネタになったとされているのですが、なんと、太宰が仕事をしに行き、檀にさらなる借金をした場所が熱海なのです。太宰と檀が宿泊したのは「村上旅館」という旅館。現在はもうなく、たばこ屋になっているそうです。
文豪=大胆というイメージを物語るかのようなエピソードです。
太宰の熱海エピソードはもう1つあります。太宰は、熱海にある「起雲閣」という旅館の別館で、『人間失格』を執筆しました。起雲閣は現在旅館としての営業はしていませんが、一般公開されています。ここには山本有三、志賀直哉、谷崎潤一郎、三島由紀夫、舟橋聖一、武田泰淳などそうそうたる文豪も訪れています。
太宰が『人間失格』を執筆したといわれている別館は取り壊されてしまったのですが、愛人であり、後にともに入水心中することとなる山崎富栄と宿泊した部屋「大鳳」は残っており、見学することができます。大鵬は熱海を舞台にした『金色夜叉』の作者・尾崎紅葉の間となっており、お宮と貫一が別れた「お宮の松」の写真も飾られています。起雲閣は見事な日本庭園が見物で、大鳳からも眺望することができます。
太宰が富栄と起雲閣に宿泊したのは、入水心中する約3か月前のこと。2人は、部屋からの眺めをどのように感じていたのでしょうか。
川端康成
川端康成が書いた『熱海と盗難』によると、川端は寒いのが大嫌いで、冬でも暖かい場所を求め、1927年11月に熱海の貸別荘に引っ越したといいます。住んだのは1年ほど。伊豆山までの海岸や錦ヶ浦辺りを散歩していたそうです。
お気に入りの散歩コースもあったようですが、「町の人情風俗は私にはあまり住みいいとは思われない」(『熱海と盗難』より)とも言っています。『熱海と盗難』には、名前の通り、川端が熱海で盗難に遭ったエピソードが綴られています。
たしかに、わざわざ引っ越したのに、盗難に遭った街のことは、それを凌駕する程の良さがないと好きとは言えないかもしれません。少しだけ川端に親近感を感じました。
谷崎潤一郎
谷崎は、熱海市西山に別荘を所有しており、1944年4月にはその別荘に家族で疎開、また1950年には別邸として熱海市に「潤雪庵」を持ちました。谷崎は引っ越し魔で、熱海に定住するようになってからも、熱海内で引っ越しを重ねていたようです。
1944年の疎開時は、ちょうど『細雪』の執筆中だったそう。別邸「潤雪庵」の「雪」は、『細雪』からきているそうです。『疎開日記』には「終日『細雪』執筆」など、日々の記録が綴られています。
疎開前の1944年の元旦は熱海の別荘で過ごしており、来宮神社に参拝したとの記述もあります。
また、別荘の近所にあったらしい「恋月荘」という旅館を頻繁に訪れていたそうです。『疎開日記』に「恋月荘」はよく出てきて、温泉に入ったり食事をしたりと世話になっていた様子がうかがえます。
「恋月荘」について調べていると、谷崎がよく訪れていた「連月荘」という旅館があることが分かりました。おそらく「連月荘」=「恋月荘」なのですが、なぜ谷崎が「恋月荘」と記述していたのか…気になります(残念ながら、「連月荘」は現在閉業)。
おわりに
最後に、熱海の歴史を少し紹介します。
熱海といえば温泉のイメージが強いですが、熱海に温泉が湧き出たのは、1500年以上前。西暦491年、熱海の海底から熱湯が湧き出して、多くの魚介類が死んだという伝承が残されているそうです。
保養や観光目的の訪問者が急増したのは、1925年に国鉄熱海線が開通し、東京都3時間40分で結ばれるようになってから。この頃には、自炊中心だった宿泊形態も、食事を提供する形になっていました。
1934年に丹那トンネルが完成し、東海道本線が通るようになると、熱海温泉の地位は一層高まったそう。そんな熱海を、太宰も川端も谷崎も訪れていたのです。
文豪ロマン溢れる街・熱海。皆さまもぜひ訪れ、文豪たちが愛した風景や雰囲気を味わってみてはいかがでしょうか。(文 菅原道子)