女装家やドルオタの引っ越しを手伝って「引っ越しは自分探し」だと気づいた話

つい先日「自分探し」について考える機会があった。それがタイトルにある通り、引っ越しである。筆者の個人的な話になるが、去年に一人暮らしを始め、初めての引っ越しを経験した。それから数ヶ月後に二人の友人の引っ越しを手伝った。

内見に同行するために、不動産屋に行ったときに目に入った言葉。

「お部屋探しは自分探し」

お店の壁に大きく掲げられていた標語。客はおろか、働いている人でさえ大して気にも留めない言葉だろう。だが、妙に気になった。帰路についているとき、その言葉は自分にとって深い意味を持つかもしれないと思い始めた。

じっくり思い返してみると、自分を含め二人の友人の引っ越しは、どれも個性があり、それぞれの価値観があり、まさに「自分探し」であるように思えた。今回は、友人二人と自分の引っ越しのエピソードを、本の一文と併せて紹介しながら、「引っ越し」と「自分探し」について考えようと思う。

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二人分の衣服がいる女装インフルエンサー

君は喰種でもあり、同時に人間でもあるんだ。ふたつの世界に居場所を持てる、唯一人の存在なんだ。

『東京喰種』石田スイ

女装界隈ではちょっとした有名人である女装インフルエンサーの友人K。内見に同行したとき、彼は収納をとても重要視していた。彼は合理主義で、本は電子書籍で支払いは全てキャッシュレス。あまり多くの荷物を持たない印象だった。

気になって「なぜそんなに収納が重要なのか」と聞いてみた。彼はいわゆる「女装家」であり、女性として生きているわけではない。女装界隈では女装していない男性としての姿のことを「B面」、女装後の姿を「A面」と呼ぶらしい。彼はB面として過ごす日もあれば、A面として過ごす日もあるそう。つまり、2人分の衣服が必要なのだ。なるほど、収納が重要なわけだ。

ダンボール20箱分のグッズがあるアイドルオタク

逃避でも依存でもない、推しは私の背骨だ。

『推し、燃ゆ』宇佐美りん

熱心なアイドルオタクである友人Mに引っ越しの手伝いを頼まれたので、快く承諾した。彼女は現在4畳半ほどの部屋に住んでいるそうなので、荷物は少なくて引っ越しも楽だろうと勝手に思っていた。無事に部屋が決まり、彼女から荷造りを終えたという電話が鳴った。

「どうしよう、荷造りしてたらダンボール20箱くらいできちゃった」

よく理解できなかった。なぜそんなに荷物が多いのかを聞いてみた。彼女は”推し”に情熱を注いで生きている。とある関西の男性グループを推していて、引っ越した先も大阪だ。荷物の大半もグッズだという。

もし筆者が分別のない配慮に欠けた人間なら「捨てて減らせばいいのに」と口走ったかもしれない。だが、引用の言葉のように、彼女にとって推しはまさに”背骨”なのだ。「身体が重いなら背骨を取ればいい」だなんて言えるはずもない。

「洗面台がない」ことに初めて気づいた

「自分が何を求めているか?」というよりはむしろ、「何かを”求めていない”自分とはそもそもどんなものか?」ということを、そのような姿を、頭の中でヴィジュアライズしてみるといい。

『職業としての小説家』村上春樹

あまりこだわりのない筆者の引っ越しは楽だった。内見を3、4件して一番無難な部屋にサクッと決めた。特徴を挙げることが難しいくらい普通の部屋だ。荷物が少なかったので、車で何度か往復しただけで引っ越しは完了した。冷蔵庫やベッドは近所の家具屋や家電量販店で買って搬入してもらったから、運んだのは本と本棚とティーカップくらいだ。

1ヶ月ほどしたころに、友人が泊まりに来た。シャワーを浴びたいと言うので、好きに使ってもらうよう伝えると、しばらくして風呂場から声がした。

「洗面台ないの?」

「洗面台? ああ、ないね」

「ええ! 信じられない! 絶対必要でしょ」

友人に言われて初めて、筆者は部屋に「洗面台がない」ことを認識した。何も洗面台を知らなかったわけではない。実家には鏡と化粧棚がついた洗面台があり、そこで毎日歯を磨いたり髪を乾かしたりしていた。

だが、部屋を探すときに条件を決めるにあたり、「洗面台の有無」なんて考えたこともなかった。自分はそれなりに小綺麗にしているつもりではあるが、毎朝鏡の前でファッションチェックをしたり、髪をセットしたりするようなタイプではない。このときに改めて、筆者にとっては存在すら意識しないものも、人によってはなくてはならないものであると気付かされた。

引っ越しを終えて

引っ越しは人生で、多くの選択や決断を迫られるときだと思う。部屋の広さ、家賃、駅の近さ、ベランダ、築年数、階数、追い焚き、浴室乾燥……100%要望が叶う部屋はそう見つからない。

何を捨てて何を選ぶかを悩むうちに、自分にとって本当に必要なもの、そうでないものが見えてくる。これは仕事や友人関係、恋愛や結婚、資産運用など、人生のあらゆる選択に通じることだと思う。人は何かの選択を迫られたときに、価値観や哲学、生き方が可視化されるのだ。

引っ越しは、普段何気なく生活しているなかでは表面化しない自己を観察できる、素晴らしい機会だと改めて感じた。引っ越しをおすすめするのも変な話だが、もし自分や知人が引っ越すときに、「お部屋探しは自分探し」という言葉を思い出してみてほしい。(文 イワミズコウタ)

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