もしも芥川賞から芥川龍之介の名前がなくなったらどうなるか?

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本や読書から関心が薄れてしまう?

 

二つめは、本というコンテンツに対する親近感の低下です。芥川賞の受賞作品はニュースなどで取り挙げられ、非常に話題性の高いものとなります。毎年メディアで耳にする文学賞の名称と、教科書で彼の著作に触れた人が多い状況は、芥川龍之介と芥川賞を容易に結びつける土台を作っています。この共通体験があるからこそ、芥川賞ひいては本を身近に感じられるのではないでしょうか。

 

ただでさえ現在は、さまざまなコンテンツによる可処分時間の取り合いになっています。映画を倍速で視聴し、YouTubeを見ながらLINEの返信を行うように、娯楽にもスピード感が求められています。本はそれに集中せざるをえないことから、敬遠されてしまうことがままありますが、それでも年に一度、芥川賞をどの作品が受賞するのか、読書好きに限らず気にする人は少なくないでしょう。

 

これは、芥川賞が身近な存在であるからこそ、成せることだと思います。その名称が変わってしまうと、過去にその作品に触れたことがある経験と文学賞を結びつけにくくなり、人々の関心が薄れていってしまう可能性があるのです。

 

 

終わりに

 

過去の作品には、書かれた当時の価値観を反映しているものが多く、言葉遣い一つとっても今とは大きく異なります。時代が違いますから、今の価値観と相容れないものは少なくないでしょう。しかし、そうした作品に触れることでさまざまな考え方を知り、それを自分のなかで咀嚼することで、現在の多様な価値観が共存する世界への考え方も変化していくのだと思います。

 

もちろん、そのときどきの価値観は尊重されるべきものであり、決して無視してはならないことです。「児童文学遺産賞」の改称も、致し方ない側面もあるのかもしれません。しかしそれによって、ワイルダー氏のことを知り、その作品に触れる機会が減ってしまう、場合によっては無くなってしまうことは寂しいと感じます。

 

今回は便宜上、芥川龍之介賞を例に挙げましたが、これはほかの作家名を冠するすべての賞に共通するのではと思います。少々極端な例えに聞こえるかもしれませんが、日本でも実際に起こり得るのでは、と危機感を抱くに足る事例が、「児童文学遺産賞」なのです。(文 睡蓮)

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