5人目:ケイ(35歳/日本・東京)
ここまで読んで、「取材者である当の本人は一体どんな本を持ってきたのだろう?」と思った方はいないだろうか。ということで最後は、自身もバックパッカーである筆者の持ってきた本を紹介させていただこう。旅の最終地点で手元にあったのは、リアに借りた本を除いてこの2冊だった。
持ってきた本1冊目
「The Science of Self-Realization」His Divine Grace A. C. Bhaktivedanta Swami Prabhupada
※日本語版なし
「自己実現の科学」と題されたこの本は、インドのスピリチュアル・ティーチャーである、A・C・バクティヴェーダンタ・スワミ・プラブパーダの著作。彼は69歳でアメリカに渡って「クリシュナ意識国際協会」を創立し、後にヒッピーと呼ばれる何千人もの若者に布教を行なった。
この本はタイのバンコク、カオサン通りのジュース屋で出会った、インド人のビジネスマンに貰った。彼からはしばらくの間マンツーマンで瞑想を教わった。彼が一度インドへ帰国した際に、あちらの空港で買ってきてくれたのがこの本だ。
瞑想やヨガを実践するための素晴らしい手引きだという。カルマや生まれ変わり、超意識、グルの選び方、クリシュナとキリスト、経済問題を解決する方法などが網羅されている。スピリチュアルを英語で理解するのは私にはハードルが高いが、チャレンジしてみたい。
持ってきた本2冊目
「金子光晴(ちくま日本文学全集)」金子光晴 著
詩人・金子光晴の作品集。光晴は3つの大学を中退し、24歳のときヨーロッパに渡り、イギリス、ベルギーを放浪。33歳のときに妻・三千代と共に長崎から出港し、東南アジアからパリと、足かけ5年にわたる放浪の旅をした。彼の全作品のうち、半分以上は「女」をテーマにしている。
放浪といえば金子光晴だ。旅にふさわしいと思って選んだ。筆者もときどき詩を書くのだが、この本は金子光晴を研究している詩人仲間から貰った。
「すべて、くさらないものはない!」という強烈なフレーズから始まる「大腐爛頌(だいふらんしょう)」という題の詩は、ラオスのメコン川沿いで朗読した。東南アジアの強烈な日射しと生活の腐臭、濁った川の流れに、金子光晴の言葉はよく合うのだ。
この旅の間じゅう、あなたにとって本とは何かという問いを、人種も言葉も異なる沢山の人に投げかけ続けてきた。本は人と共に旅をし、作家から読者へ、その家族へ友人へ、また見知らぬ誰かの手へと届きつづける。旅の終わり、本とは壮大な手紙であると、筆者は思う。
取材を終えて
この2ヶ月間にラオス・タイ・カンボジア・ベトナムの4ヶ国で行なった調査結果をまとめると、38人中19人、つまりバックパッカーのちょうど半数が紙の本を持っていたという結果となった。
彼らは電子書籍という手軽な選択肢もありながら、あえて重たくかさばる紙の本をバックパックに詰め込んで持ち歩いている。それでしか実現できない読書体験があると、彼らは一様に語った。活字の重さ。表紙の質感。紙の匂い。指を舐め、ページをめくる音。その体験は確かな質量を持ち、やがて人から人へ、手から手へと、世界のどこまででも拡がっていく。
インターネットの発展により、あらゆることがヴァーチャルに置き換えられつつある現代。だからこそ気づける、かけがえのない本や文学の価値がそこにはあった。
取材から半年後の現在、新型コロナウイルスによって、世界はかつて想像だにしなかった状況に直面している。気軽にどこかへ旅することも、もはや不可能になった。しかし、「本があればどこにでも行ける」と、最後に話したリアは言った。
取材に協力してくれた全てのバックパッカーたちが、今も世界のどこか屋根の下で、文学の果てしない旅を楽しんでいると信じている。(取材・文 荒木田慧)