週一回の登校に全てをかけていた
ファッションというものについて考えるきっかけもそのときに。中学で一回勉強も全部やめたんですけど、高校どうやって入るかという問題が出てきて。私は行きたくなかったんです。みんなとおんなじ制服が本当に嫌でしたし、みんなと比べられるっていうのが。頭がいいか、スポーツができるか、顔が可愛いかみたいな。狭い世界だったと思います。
高校も小中と同じ生活になるのかと想像してしまって。1校だけオープンキャンパスに行ったんですけど、ヤンキーばっかりで。女の子もイケイケが多いし。薄っぺらいな、だったら行きたくない、と泣きわめいて。母に、本当にやめてくれ行きたくないと言ったんです。
そしたらやっぱり親としては行って欲しい、通信制でもいいと言われて。それで通信制の学校を選びました。それなら制服も私服だし、週一回の登校でいいと。その1日に全てをかけてました。そっから服が好きになっていきました。
で、誰も着ていない服をどうやって探すか考えていて。でも敗北感もありました。私服で登校するんですけど、前から制服の女の子の集団が歩いて来たとき、泣きながらバーっと。今でも思い出すと涙出ます。ファッションというものへの意識はそっから、根強いですね。
すごい覚えてるのが、友達と私服で遊んだとき。昔から母の服を着てたんです。そのときは母の水色のセーターを着てて、友達と二人で遊んでプリクラを撮りに行こうってなって。会ったときにパッと、えっなにその服きもいみたいな。それ目の前で言うんやと思って。自分の好きなもんは認められないんだなと思って。
みんなと同じ装いは嫌なのに、離れてみたらそれもいやだと言う。反発感情と同調感情がごっちゃになって。複雑でしたね。制服が無くなって楽になったけど、みんなは全日制の学校なのに自分だけ通信にいっているという、比べてる自分がまだいた。自分だけ置いてかれたような。
死にたいと考える暇もなくなった
卒業後は、進学する予定はなかったんですけど、ファッションの専門学校に行きました。なんとなく。こういうときってなんとなくの方がいいと思ったんです。正しかったと思います。一期生というのも好みで燃えました。
昔は死なないためにどうするかずっと考えてたんですけど、専門学校に入ってから変わりました。私たちは学科の一期生で。トップクリエイターコースという、だだパターン引くだけじゃない、自分でブランドを作りたい人のためのコースでした。
何をやってもいいけど、自分に責任がある。最初から忙しくて、そこからパワー湧いてきました。死にたいと考える暇もなく、そこから息を吹き返しました。毎期東京に来てファッションショーを見て、パリにも行って、自分の服を展示してバイヤーに売ったりしました。
先生からこうやって生きてくんだよってやり方を教えられた気でいます。音楽活動でもその全力のやり方でやろうと思ってて。恩師ですね、言ったことはないですけど。
これで売れたら勝ちだと思ってます
上京後は音楽に対する姿勢がとても変わりました。ベクトルを音楽のみに変えたので。全てを音楽に一回捧げようと。それで今に至ります。だから、今が勝負。
わたし、通信制高校のときに恋してたんです。先生なんですけど。ギターができるバンドマンで。その人に会いに行くために、さっき話した週一の登校で、着てく服頑張るみたいな。その人とそういう関係にはなれなかったんですけど。
卒業後、専門学校入ってから二人で会う機会があって。その人がまあクズやった。自分が先生やりながら音楽をやってるのに、音楽をやること、音楽そのものについて批判を始めて。売れないからとか。食べていけないし、とか。
音楽を始めたきっかけはそれだけじゃないけど、そいつにじゃあやれるってところも見せつけたくて、今に至っているんです。成功するのが難しいって言われるたびにやってやろうと思う。だからこそやってる。これで売れたら勝ちだと思ってます。
この間インディーズデビュー、CDの全国流通が始まりました。活動を拡大していきたいですね。ざっくりしているけど本当にいろんな方に曲を届けたくて。どうやったら知ってもらえるかを大事に考えて、これからも動いていきたいです。(取材・文 文月とき)