テレビを点けると、「一流」「売れっ子」と呼ばれるたくさんの芸人が活躍している。インターネットの普及により、芸人が活躍できる場は広がったが、それでも「地上波」「ゴールデン」といったメジャーな場で活躍することは、多くの芸人にとって憧れではないだろうか。
そんな中、テレビとは一線を画し、舞台にこだわってネタを披露し続けている芸人がいる。「コラアゲンはいごうまん」だ。彼が披露するのは、一発芸でもコントでもない。実際に経験したことを語る“ノンフィクション漫談”である。
レパートリーは、「恋愛」や「教科書」など馴染みのあるものから、「刺青」や「お葬式」などと少しヘビー感の漂うものまでさまざま。そして今年、これらのエピソードをまとめた『コレ、嘘みたいやけど全部ホンマの話やねん。(幻冬舎)』を刊行した。“ノンフィクション漫談”が誕生した経緯や、舞台にこだわり続けている理由についてお話を伺った。
冠番組を持つことを目指してネタづくりに励む
―はじめに、ノンフィクション漫談というスタイルが出来るまでの経緯を教えてください。
東京に出てきた頃ですね、普通の芸人さんと同じように、コントをやったりギャグをやったりしてたわけですよ。それが、つまらなかった。それに気づいた。理由はそれだけ。ネタが面白くないから、こういうことやり始めたということです。
―ネタがつまらなかったからノンフィクション漫談を? もう少し詳しく聞かせてください。
要は、何のお仕事でもそうなんですけど、正攻法というのがあるんです。皆がやる方法ってのがあってね。お笑いでいうと、まずテレビに出たい、冠番組持ちたい、ゴールデンでMCやりたいとか、そういうのが最初にあるんです。そこを目指してネタを作るんです。
僕もそうやって30歳までやってたんですが、やっぱり狭き門なんです。皆が目指すとこなんだから。で、そこでは勝てなかった。そのときは大阪で、吉本に所属してたんですが、東京行ったらなんとかなるかな思った。事務所も変えて。
でも、東京は東京で層も厚けりゃ、30歳より二十歳そこらの若い子らを事務所は欲しがるわけで。普通の企業はいい商品しか欲しがらない。これ儲かるわあーっていう商品。お笑いで言ったら、「これテレビ出れそうやな、売れそうやな」っていう商品は、「よしウチで預かるわ」ってなるのが普通なんですね。
で、いよいよ僕も引き取ってくれるところがないまま終わるのかなあーと思ってる時に、ここ(ワハハ本舗)の社長でもある喰始(たべ・はじめ)という演出家が拾ってくれたということだったんです。
喰始さんが負の要素をプラスに変えてくれた
―では喰さんは、コラアゲンさんを売れると見込んだのですかね?
普通に考えて、「これ無理やろうなあー」っていう商品は誰も見向きもしない。でも喰さんは、「いやいや、それは使いようであって、今のこの状態では駄目だけども、それをこういう風に使ったらいけるで」って考える再生工場というか。負の要素をプラスに変えるというか。そういうもののスペシャリスト。やっぱ演出家だから。
そこで僕のネタを見て、「残念ながらネタを作る才能はないけども、見たところすごく真面目そうや」と。「真面目なんやったら、ほんまに見てきたことを喋ることに関しては、どんなやつよりもすごく真摯に喋れる。すさまじく観察して感じたことをそのまま喋ればいい」って言われて、まずそこがノンフィクション漫談の始まりなんです。
―真面目だからこそ、想像を働かせて作ったネタよりも、実際に体験したことをネタにする方が、コラアゲンさんらしさを発揮できると思われたのですね。
はい。「残念ながら君は、行ってもないインドのことを話せるようなクリエイターではないんや」と。「だったら行きゃいい。行ったら、絶対に他の人に負けないくらい徹底的に調べるだろうし、そこで見て感じて、命を削って一生懸命伝えようとするだろう」と。
「ドキュメンタリーの中にこそ、君の味はきっと出るでしょ」って喰に言われました。負の要素を全部プラスに変えちゃったっていうことですよね。(取材・文 小糠あお)
※第2回に続く