沢木耕太郎に憧れて作家を目指した
―もともと小説を書こう、という思いがあったのですか?
物書き(になりたい)っていう思いは大学生のときからずっとありました。きっかけは、沢木耕太郎。沢木になりたいけどなれないんですよ、皆。デビューの仕方も含めてね。自分の能力とかポジショニングも踏まえて、なんとなく直感で分かってたんでしょうね。「手を出してはいけない」と。ぶさいくな男がジャニーズ事務所に入ろうとする、みたいな。
でも友人からその(不動産業界の)話を聞いたときに、「その素材の料理の仕方次第では、小説でひとつ突破できるかも」って思いましたね。
―ということは、処女作がデビュー作ということですね。
まあ、そのあと投稿生活してましたけど、それが最初ではありますね。完成までに1年くらいかかりました。描き方が分からない。けど書くしかない。
最初は中短編で応募できる文学賞に応募して、1回、2回と名前が掲載されていたんですが、3回目から名前載ってなくて。「○○(注:放送禁止用語につき伏字処理しています)」って思ったね(笑)。
そこでまた気を取り直して書かなきゃ、って思ってたところに『狭小~』が部屋の隅にあった。「これ出してみっか」、と手直ししてすばる文学賞に投稿したのが彼(Iさん)の目にとまった。純文っぽくなくて社内ではこれは残せないね、ってなってたところを彼が残してくれたんですよ。
―(Iさんへ)なぜ残したんですか?
「(Iさん)面白かったんです、とにかく。カテゴリーエラーというか、純文じゃないんじゃって意見もあったのですが、とりあえず最終には残そうってことになりました」
すばるは優しいんです。応募者の原稿をゲラにしてくれて、担当がついて、直しができるんです。プライベートな時間を使い、神保町の喫茶店で土日に打ち合わせして。俺もホテルに缶詰になって必死で直して。必死だからさ、こっちも。「これが最後だ」と思って。
―新庄流・作家志望者へのエール
―受賞された時はどんな気持ちでしたか?
もう「無敵だ」と思った。万能感。スーパーマリオがスター取るとキラキラってなるでしょ。あんな感じ。
―それは気持ち良いでしょうね、どのように受賞の連絡は来るのですか?
担当から電話が来ます。電話の仕方もイヤラシイんですよー。「……いまお電話よろしいでしょうか、、、」(よそよそしい感じ)って。「あ、落ちたな」って思ったら「受賞決まりました。」って。「うぇえっ?」って(笑)。二人でお祝いもしました。
―笑。受賞後は、すぐに次作を書くぞ。という気持ちになりましたか?
「やってやろう」とは思いました。けど描けなかった。気持ちはあるのに描けない。皆そうですよ。1作だけで終わっちゃうってそういうことなんでしょうね。2作目というのは、ハードルが高い。3作目も。ずっと高い。小説家を目指す皆さんは覚悟するように(笑)。
―それでも専業作家であり続けようと思ったのですね。
今この瞬間ひとつのことを死ぬ思いでやりたいからですね。なんとかして半端に生きよう、とは考えない。リスクを負って、とことんやって、死にたい。そういうやつって死に様はだいたいエグイんですよね。でも、長生きする感じもしないし、散々やらかしてきたし……いま生かされてるだけで感謝ですよ。
―では、最後に小説家志望の人へのメッセージをお願いします。
やめたほうがいいんじゃないですか? 想像の100倍茨ですよ。マルチの方が、稼げます。(笑)
ーありがとうございました!
(取材・文 ささ山もも子)