『第一回 家賃が高い!文学賞』受賞作品

 

優秀賞『プライスレス野村』蒼井坂じゅーり

 

あんなあんな、最近家賃上げられるらしくて。

なんぼからなんぼなん?

三万から三十二万四千円やて。

それは高いそれは高いで。

今なら一部屋借りたらもれなく一部屋ついてくるらしいねん。

ひと部屋がええいうて借りたのにふた部屋いるか? いるんやったら普通にふた部屋借りたらええやん。

お嫁さんつきやて。

どんな嫁?

家事B容姿C性格Bやて。

無難な感じなんかな。

もう二十五万はろたら、容姿をBに、あと熟女に交換もできるらしいわ。

熟女特需か? 熟女はマイナス査定やないんやな。

けどそれでも高いわなんぼなにかて、と腹たって。

そらそうや。プロ野球選手の年俸なみの変動やで。

交渉したんや。

おう、訴えてもええくらいや。

三十二万三千二百円にしてくれたわ。

八百円やん。

八百円を馬鹿にすんなよ。俺のランチ三日分やぞ。

それでやりくりしてるお前に感服やけどやな。

胸張って契約のんだんや。

のんだんかいな。

 

 

今日から新生活やー。うわーさすが三十二万三千二百円の部屋やー。って今まで住んでた六畳一間やけど、ここからが新生活や。なんともうひと部屋がここから徒歩二十五分の場所に、けっこう遠いけど、最近運動不足やしラッキークッキーはぐきーのダイエット機能。うわー、めっちゃいいやん。二十五分間の道中ライ麦畑やん、俺の名前ホールデン・コールフィールド・タケシとか違うからな! やっほっほっーい。やっとついたー。汗かいたー。風呂入りたーい。鍵どこや、あっあいた。もれなくついてくるお嫁さんやん。うわー、二十五万はろただけあっておばはんやん。しかもちょいぽちゃ。これこれ、これが熟女や。草食男子のマザコンパーソナリティに沁みるねー。順番逆やけど入籍からのー今日今ここからのだいれんあーい。もうスナックになんていかへんでー。うわーひろー、ワンルームやけど三十七畳くらいあるから広々や! エアコン代払えんからバイト増やそー。なぜにユニットバスのままやねーん。ご愛敬! 引っ越したらせっかくの熟女妻と離婚なってまうから永住やー。野村に相談してよかった。野村、野村、野村、野村♫

 

ズンチャッチャチャチャチャッ♫

 

野村、野村、野村、野村♫

 

家賃上がってもー、なんぼかなんて言われへん、なんぼかなんて言われへんのがなんでかいうとー、野村はプライスレス。今日も明日も昨日も野村はープライスレス。賃貸も売買も土地管理も不動産ならプライスレス野村。今ならもう百円還元。あなたのお昼三日目まで三百円にしてみませんか? 続きはWEBで!

 

特別賞『ノイズとウイルス』寅間心閑

 

マスクが無い無いと街中、いや国中で大騒ぎだ。新型ウイルスのせいでイベントやコンサートは中止。五輪も危ないなんて話まで出ている。感染者は八万人以上。中国、韓国や日本だけでなく、イタリアやイランなど四十以上の国に点在しているらしい。ウイルスにとっては国境なんて無意味、軽々と越えてしまう。

 

今日も朝のワイドショーはウイルスの話題で持ちきりだった。もちろん問題は大きなものだけではない。無数の小さな問題が全国で起こっている。下北の片隅にひっそりと佇む、ウチみたいなオープン五年目の零細ダイニングバーだって大変だ。まあ、大変になってきたのは去年からだけど、もしかしたらこのウイルス騒ぎがトドメになるかもしれない。ここ数日、極端に客が減ってきた。

 

そして問題はもうひとつ。段々と家賃が上がっている。いや、本当は上がってない。でも、上がっている。正確に言えば額はそのままだが、負担の割合は確実に上がっている。

 

その家賃の振り込みまであと一週間。どうしたもんかな。もちろん払えるから払うけど、蓄えはかなり減っている。払えなくなるまで頑張るのか、それでも払えなくなったらどこからか借りるのか、それともそうなる前に降参するのか。こういう時に頑張って売り上げを増やす、というポジティヴな選択肢は浮かばない。

 

五年前、下北沢にこだわらず、もっと家賃の安い場所でオープンすれば良かったのかな。そんなことを考えるくらい弱気になっている。

 

今日だってオープンして一時間半経つのに、客は常連のハゲ村だけ。定位置のカウンターの左端でスマホをいじっている。昼から呑んでいるとかで、まだお通しとかち割りワインしか出せていない。

 

「マスター」

 

「何?」

 

「ちょっと前までさあ、トイレにマスク置いてあったのが嘘みたいだねえ」

 

「綿棒ならまだあるよ」

 

「うん、太っ腹だねえ」

 

返事はしなかった。ハゲ村も再びスマホをいじり出す。俺は紙パックのコーヒー牛乳で喉を潤した。時刻は七時半。あと三十分でリコちゃん御出勤。人件費だって馬鹿にならない。でも平日ナシで土日だけにしたら、きっと辞めちゃうだろうな……。

 

延々と続きそうな暗い想像を追い払う為、BGMを変えた。今はビル・エヴァンスの繊細なピアノの気分ではない。久々のマイ・ブラッディ・ヴァレンタイン、通称マイブラのセカンド『ラブレス』。独身アラフィフ男の青春の一枚だ。甘酸っぱいノイズが狭い店に充満する。一瞬ハゲ村が顔を上げ、何か言いたそうにしていたが俺は無視した。

 

頼みの綱は、明後日に予約が入っている四時間の貸切り営業のみ。トキオ君が自分の会社の社員を連れて来るという。総勢十二名。もちろん満員御礼。ギリギリ椅子も足りない。まだ三十二、三歳なのに立派な男だ。顔もまあまあの線だし、酒に呑まれることもない。少々声が甲高いが、そもそも彼は無口。ウチの常連の中では珍しいタイプだ。

 

気付けばハゲ村はウトウトしていた。確かにマイブラのノイズには催眠作用がある。二十五年前の夏、狭いアパートで紙パックのコーヒー牛乳を飲みながら聴いていた時も、よく途中で眠りこけていた。昔も今も歌詞なんて知りはしない。いや、初めから歌詞なんて載っていなかった。でも、だからこそ国境を軽々と越え、暇を持て余していたフリーターの耳に刺さったのだろう。

 

――ウイルスみたいだな。

 

そう連想した瞬間、店の電話が鳴った。音のボリュームを下げて「もしもし」と出る。マスターすいません、というその声は甲高かった。トキオ君だ。

 

「あの、明後日なんですけど、みんなウイルスのこと気にしちゃって、延期しようって話になったんですよ。で、本当に申し訳ないんですけど……」

 

今月もまた家賃が上がるようだ。うんうん、と話を聞きながら俺は音のボリュームを元に戻した。

 

特別賞『家賃を超えて』ツチヤタカユキ

 

ある日、突然、地球が喋り出した。

「今月から、お前らに、家賃を支払って貰う」

地球は続けた。

「一人、毎月百万円ね!」

 

支払えなかった私は、宇宙空間に放り出されて爆死した。次に意識を取り戻した時、私は、天国に居た。

天国には、山があり、温泉があり、どことなく地方の田舎町に似ていた。

私は温泉宿のような所で、毎日を過ごした。

毎日、温泉に入り、女中が出してくれる酒を飲んで、眠るという、自堕落な暮らしが一月続いた頃、ある日、私の部屋に、天使が現れた。

「今月の家賃を払って下さい」

まさか、有料だとは、夢にも思わなかった。

支払ないというと、私は、地獄に追放された。

地獄では、クリーニング屋で鬼のパンツを、毎日洗う仕事を与えられた。

とんでもなく、臭くて仕方がなかった。

住み込みの仕事だったから、四畳半の部屋が与えられた。

古くて畳にはカビが生えていた。

家賃は、給料から自動的に引かれる仕組みになっていたから、私は、追い出される事は無かった。

しかし、ある日、大家に、家賃を値上げすると言われた。

何でも、地獄の消費税が、現在の8%から、100%になるかららしい。

一気に上げすぎだろ。地獄だ。

また家を追い出された。

私は、地獄でホームレスとなった。

地獄には、3年経つと、また地球に生まれる事が出来るというルールがある。

3年目に私は、生まれ変われる事になった。

地球への入場ゲートで、何に生まれ変わるかを、選択する事が出来る。

選択肢には、地球に居る全ての生き物がある。

私は、それを見て、ふと思った。

「家賃を支払うのは、人間だけだ」と。

よし次は、人間以外の何かになろう。

そこで私は、ゴキブリになる事にした。

理由は、生命力の強さ。

さらには、姿を見せるだけで人間を不快に出来るというおまけ付き。

私は、人間を恨んでいた。

ずっと、家賃を払う事を強要され続けて来た。

だが、もう家賃の心配は要らない。

ゴキブリになった私は、人間に姿を見せては、不快な思いをさせ続けた。

だが、ある日、私は、ふとした気の緩みから、ゴキブリホイホイに引っかかってしまった。

私の前に、一匹のゴキブリが中に、引っかかっていた。

そのゴキブリは、私を見るや否や、こう言った。

「ここは俺の家だ。住みたければ家賃を払え」

 

特別賞『鳩が轢かれる』田子早

 

マキメはタイのバンコクに暮らして四年になる。朝の十時半、この時間になると、通りを行き交う車や人の流れもすっかり落ち着いている。会社のランニングイベントでもらった『アユタヤ・キズナ・マラソン』と書かれた黄色いTシャツに、大学時代から履き古しているユニクロのリラコという寝起きの格好で、サンダルをひっかけて近所のセブンに行く。ポケットがないので、部屋の鍵と一階の共有ゲートの鍵、小さく折り畳んだ百バーツ札二枚を左手に握り締めて、右手にはスマホを持っている。

 

会社は三ヶ月前に辞めて、ちょうど一年間の就労ビザを取ったばかりだったから、そのままタイに居座り続けている。もちろん、本当はダメなのだ。日本でも、ビザが切れても日本に留まり続ける外国人が社会問題になっているらしい。でもまあ、毎日だらだらと過ごしているだけで何も悪いことはしてないし、会社がちゃんと手続きしてくれなかったのが悪いんだ、と思うことにした。何かにつけて世間や他人のせいにするのは、マキメの得意とするところだ。

 

曲がり角で鶏肉を揚げているおばちゃんの足元に、いつもの野良犬がいる。おばちゃんが屋台を構える日は、決まって犬は近くに寝そべって、安心しきった顔をしている。おばちゃんがいない日は、警察官の共同アパートの裏にある公園で、何もない茂みに向かってやや険しい表情をしていることが多い。いずれにせよ、犬はスマホがなくて可哀想だ。自分が犬で、好きなときにYouTubeが見れないと思うとゾッとする。

 

ガスバーナーの炎に炙られて、高温の油がパチパチ飛び跳ねる。マキメは近寄らないように、角を大回りする。油が跳ねるのも嫌だし、八月の太陽とアスファルトの熱を吸収したPTT社製の緑のガスボンベが、目の前で爆発したらもっと嫌だ。

 

YouTubeでおすすめに上がってきた日本のカップルの動画を見ていたら、あやうく潰れた鳩の死骸を踏みそうになる。曲がり角とセブンのちょうど中間、道を渡る直前に、いつも鳩の死骸がある。幸いなことに薄っぺらなサンダルで死骸を踏みつけたことはないが、あと一歩のところで驚いて飛び退く。マキメは毎朝この時間にセブンへ行くのだけれど、いつも決まって同じ場所に、新鮮な死骸がある。理由は単純で、ここは鳩にとってのトラップなのである。

 

駅前に出るこの小道は、行き交う車がギリギリですれ違うほど幅が狭く、朝は歩いて駅へ向かう人も加わって、かなりごった返している。さらに、ジョークと呼ばれるおかゆ、パン生地を捏ねて捻ってその場で揚げるパートンコー、「サワディーカポーン」が口癖のお兄さんがカットしてくれるパイナップルやグァバやドラゴンフルーツ、椅子とテーブルも用意されたタイヌードル・クイッティアオ、なにが東京なのかわからないカノムトーキョー、たこ焼きに似てるけどココナッツ味で甘いカノムクロック、ひとパック二十バーツの冷めきったガパオやチャーハンなどがずらりと並んでいる。すぐ先の駅前通りはトヨタの販売店とセントラル系列のモールがあって、路上販売が禁止されているので、ありとあらゆる屋台がこの狭い小道に押し込められているのだ。

 

鳩が車に轢かれるのは、クイッティアオ屋台の足元で、通勤途中に朝食をとる会社員たちのおこぼれを狙って歩き回るせいだ。飛び跳ねるスープ、ボウルからこぼれ落ちるネギ、モヤシ、豚のミンチ肉、ルクチンと呼ばれるだんご肉。それらを狙って鳩が徘徊し、車を避ける雑踏を避けているうちに、自分たちが車に轢かれる。潰れた鳩は、ハエたちが速やかに養分を取り除き、バンコクの太陽でテリヤキにされて、夕方のスコールできれいさっぱり洗い流される。夜になれば大量のゴキブリたちが下水から沸き上がり、かろうじて目に見える鳩とルクチンの残りかすを全てさらってしまう。その繰り返し。

 

マキメがバンコクの北西部にあるアリーに引っ越してきたのは、一年前のことだった。おしゃれなカフェやバーも多いし、通りを少し入った先にはタイ最大の映画配給会社サハモンゴン・フィルムの本社があって、トヨタの販売店の向かいにはIBMのタイ支社もある。「アーティストとメディア関係者が住む街」と呼ばれるアリーだけれど、マキメはそのどちらでもない。ただのニートの日本人だ。友人のタイ人たちは、みな堅調な経済成長を追い風にローンを組んで、コンドミニアムや家を買っている。マキメのアパートは来月から家賃が千バーツも上がる。ビザうんぬんの前に自分の財布と相談して、そろそろ日本に帰るべきかもしれない。

 

セブンで大好きなカニチャーハンと豆乳を買って店を出ると、向かいの民家の塀に大きな横断幕が貼られていた。近づいて、タイ語をゆっくり読んでみると、来週の九月一日からこの通りは屋台が全面禁止になるらしい。軍事政権のトップがそのまま首相になって、すでにバンコクの中心部では屋台が次々に撤去されているという噂を聞いていたけれど、ようやくこのあたりも綺麗になるのか。すぐそばでペシャンコになった赤い鳩が、急に気の毒に思えてきた。