ミスiD 藤林里佳 ~みんな肩とか密着してて、でもステージのその人だけを見てるっていう光景を見て悔しくなった~

 

やっぱり音楽を聴いて欲しいと思った

 

大阪にセルフ祭というちょっとおかしな祭りがあって。サブカルチャー好きが集まる祭りって感じです。そこに出演しているひのあゆみさんという方がいて、その方とは高校のときから仲良くしていただいたんですけど、彼女が2014年に特別賞を受賞したっていうことで、ミスiDの存在は知っていました。

 

私は奈良出身なんですけど、上京して、小学校のときから仲良くしているカメラマンの女の子に「出てみたらいいじゃない」と言われて。ノリで応募してこうなりました。

 

以前ファッションの専門学校に通っていて、ファッションと音楽と何かを組み合わせたものをやりたいとずっと思っていたんです。ミスiDだとなんでも大丈夫というか、求められているものと私のやりたいことが全て合っていると思ったので。

 

でも、自分の思っていることを吐き出したいと思ってやったけど、最終的にはやっぱり音楽を聴いて欲しいと思った。(自己紹介の)動画の中でも、持ってきた服があったんですけど、もういいやと思い音楽だけ見せました。

 

 

(そのときの)動画は、通しては見れてないです。恥ずかしすぎて。選考における手応えは、うーん。歌ってる最中は、全て届けと思ってやりました。届いたという感じは少し、空気感でありましたね。でもわかんないな。出し切った感はあったけど。

 

でもセミファイナルで終わったのは悔しかったです。ミスiDではさらけ出し切れなかった。選考の中で一番思ったのは、ビジュアルの大切さです。今(ビジュアルを)ちゃんとしようと思ってます。(この)インタビューのお話が来てからジョギングも始めました。PV撮った方からも、もうちょっと痩せた方がいいとか言われて。あ、さらけ出しましたね今。

 

家にあった父のギターを使っています

 

音楽活動を始めたのは1年半前、2015年の7月からです。当時はファッションの専門学校に通ってて、その中でやっぱり音楽がやりたいと思って始めました。それで、卒業してすぐに上京しました。父もロックバンドをやってたんです。(担当は)ボーカルとギターです。売れることを目指して、スローターハウスというバンドで活動してました。

 

父のライブをライブハウスに行って見たことはないです。映像、ライブの録画がたくさん家にあったのでそれを見てました。幼稚園、小学校のときに見させられたと言うか。

 

新宿JAMでもライブをしていて、店長さんとライバル関係だったらしいです。お父さんすご 、とやっと実感して。音楽始めてから尊敬の目で見るようになりました。家に父のギターがいっぱい置いてあったんで、その中から1本選んで今使っています。

 

初めてライブハウスに行ったのは高校のときです。毛皮のマリーズさんのライブに。そのとき、めっちゃ悔しくなったんですよ。わー(私も音楽を)やりたいって、憧れましたね。

 

お客さんの一体感もすごくて。みんな肩とか密着してて、でもステージのその人だけを見てるっていう光景を見て悔しくなった。自分も発信したいってなったんだと思います。やばい、この世界知らなかったって焦りました。

 

 

足を運ばないと真実はわからない

 

今回出したセカンドシングル「シーヘヴン」は、もともと歌が出来てて、音源にするってなったときに帰省しました。奈良からこっちに出てきた理由は、地元にいるといろんなことを思い出してしまうから。どうしても出てきたかったんです。「シーヘヴン」は帰って作りたいと思って。

 

なので音源は自分の実家で作りました。ファーストシングルはこっちで作ったんですけど、(セカンドシングルでは)そのときの感情とか、風土を入れたくて。どうしても。

 

小学校の時とかのどうしても忘れられないこととかあるじゃないですか。わたしにはあるんです。そのときのことを思い出して、途中経過の「シーヘヴン」の音源を聞きながら(通っていた)小学校に行くっていう。行って、思いを込めたくて。これでいいのかをずっと試しながら、真面目に作りました。

 

何か作るときは、遠くてもその場所に足を運ぶようにしています。「本当だったんだよ」って言いたいんです。行かないと本当の真実ってわからないじゃないですか。顔を見ないと、その場所に行かないとわからない。私の目で見て思ったことだからいいんですって言いたい。だから絶対足を運びます。

 

小学校は死にたかった6年間

 

 

小学校は本当に死にたかった6年間です。痛めつけられて。顔のことをずっと言われていました。机の中見たら落書きがあるし。物を盗まれたり壊されたりも。みんなからいじめられている子ではなく、女の子のグループの中でこっそりいじめられている女の子。めっちゃ嫌でした。

 

その頃から顔のことでずっと悩んできました。両親には言えなかった。私がぶっ壊れてから話して。小学校の頃はピアノとかいろんなことを習ってたんです。ピアノ水泳空手塾みたいな。でも、学校に行ったら叩かれるし、家に帰っても当時は色々あってうまくいってなくて。

 

ずっと(小学校を)出たかったけど出られなかった。中学校のときにもういいやって。最初の方は学校に行ってたんですけど後半ごろからは行かなくなって。外に出なくなりました。ずっと家に篭るようになったんです。

 

中二病っぽくなるんですけど、本当に世界が真っ暗というか。そこでぜんぶ、勉強もやめました。塾とか3つくらい行ってたんですけど。色々やってたけどパンと糸が切れたんです。これからは全部好きなものを探そうと思って。

 

そっから聴く音楽も変わりました。当時は、いわゆる流行りの曲を聴いてたんですが、もっと当時の自分の精神にあった曲を探すようになって。家にもCDがいっぱいあったんで、色々見てて森田童子とか聴き始めました。聴いたときにうわっ何これ、おおっとなりました。自分の心にがっつりハマりましたね。一人で好きな世界を作ろう、じゃないと死んでしまうと思いました。

 

その当時は家族も全員死ねばいいくらいの感じでした。みんなと仲良くなかったし。家族が私が崩れて行く様子に気付き始めてから、やっと少し仲良くなっていきはじめた。再生ですね。