「好きな人ができたの」
待ち合わせた喫茶店で、彼女はそう言った。そして僕の友人の名前を口にし、彼と付き合うから別れたい、と続けた。たっぷり10秒ほど固まった後、僕は「ウソだよね?」と聞いた。こんなことが起こるわけない、よりによって今日はクリスマスなのに。ゆっくり過ごせるよう、仮病で会社を早引けしたのに。
冗談が好きな彼女が不意に笑みを浮かべ、「ウソだよ」と言い出すのを待った。だが、期待していた展開は訪れず、彼女は席を立った。思えば先日、クリスマスをどう過ごしたいかLINEで聞いたとき、「レストランの予約もプレゼントもいらない、会ってお話をしたい」と返ってきた時点で、察するべきだったのかもしれない。
「リア充、爆発しろ」
今夜だけで何度、この言葉を口にしただろう。僕は新宿ゴールデン街に移動し、行きつけの店でウーロンハイをあおっていた。店内にはクリスマスの飾り付けがされ、お店のママはサンタの衣装を着ている。
「何がクリスマスだよ、マジで」
この言葉も何度目かわからない。さっき入れた焼酎のボトルはほぼ空になっていた。こんなに飲んだのは学生のとき以来だ。飲み過ぎなのはわかっていたが、止められなかった。
飲まずにやっていられない、とはこのことだった。19時ころから飲み続けて、今はもう24時近く。その間ずっとグチり、泣き、くだを巻いていた。普段は寛大なママもさすがにうんざりしたようで、僕が盛大にお酒をこぼしたところで、「飲みすぎよ。そろそろ帰ったら?」とグラスを片付けられた。
だがまだまだ飲みたりない。次のお店に行こうと、ゴールデン街をふらふら歩いていると、壁のようなものにぶつかった。
「いてーよ、ふざけんなボケ!!」
そう叫ぶと、冬にも関わらずタンクトップで、ボブ・サップよろしくの大男が僕を見下ろしていた。リアル逃走中が始まった。僕は背後に放送禁止用語の英語を聞きながら、ゴールデン街を出て、新宿の街を全力疾走した。
どれくらい走っただろう。何とか振り切ることができたらしい。僕はぜえぜえと息をつきながら、辺りを見渡した。見たことのない景色が広がっている。新宿はゴールデン街くらいしか行かないため、あまり詳しくないのだ。
あれ、ここって??
もしかして……
新宿二丁目!? 自分など場違いかと思い、来たことはない。でも最近は、気軽に入れる店も増えたと聞いたことがある。せっかくなのでと、目についた店に入った。
カウンターとボックス席がいくつかある広い店内だった。終電は過ぎた時間帯なのに、店内はほぼ満席でにぎわっている。店員が出迎えてくれた。
「いらっしゃいませー。おひとりですか?」
「はい」
「じゃあカウンター席にどうぞ。ヒロカちゃん、隣いい?」
「うん、いいよ」
一人で飲んでいた女性の隣に座る。清楚できれいな雰囲気の人だな、と思った。
「私はヒロカ。はじめまして」
「僕はリク。よろしく」
「この店はよく来るの?」
「ううん、初めてなんだ」
「二丁目は?」
「来たことがない。普段はゴールデン街で飲んでばっかりいるから」
「へえ、私は二丁目ばっかりで、ゴールデン街は行ったことないなー」
注文したビールが運ばれてきて、乾杯した。走って喉が渇いていたこともあり、一息で半分以上飲み干すと、ヒロカが驚いた顔をした。
「飲みっぷりいいね……」
「う、うん」
酒を飲んで全力疾走したためか、急に吐き気が込み上げてきた。トイレに駆け込み、胃のなかのものを吐き出す。席に戻ると、「大丈夫?」とヒロカが心配そうに言った。僕は礼を言いながら、彼女に振られたこと、ゴールデン街でやけ酒をしたこと、大男に追いかけられたことなどを話した。
「それにしても、クリスマスに振られるって、もうネタだよね。しかも元カノが好きになったっていうやつ、すげーイケメンで頭も良くて、会社はGoo〇leだよ。僕は見た目もブサメンだし、仕事は誰も知らないような小さい出版社の編集者だし、給料も安いし超絶ブラックだし。勝てる要素が一つもない。振られて当然だったのかも」
力なく笑う僕を、ヒロカはじっと見つめる。勢いよく手を引かれた。
「いいところ連れてってあげる」