よくわからないものが登場する小説3選

 

ホルヘ・ルイス・ボルヘス「ザーヒル」

 

 

最後は、いわずと知れた南米の大作家ボルヘスの作品をご紹介します。この短編に登場する不可解な存在は、上の二編とは違い、生き物ではありません。概念と言えそうな存在です。その名も「ザーヒル」です。

 

ボルヘス自身が残した手記という設定になっており、冒頭で二十センターボ貨幣(※南米をはじめとした国の通貨単位で、主要通貨の100分の1に相当する)を「ザーヒル」であると言っています。しかし、読み進めていくうちにザーヒルは硬貨を指すものではなく、もっとあいまいな言葉であることが分かります。実は、他の国では、虎や天体観測器、殺された盲人、井戸の底、鉱脈を指す言葉でもあるのです。

 

これらの生物やものは、特に関連があるわけでもありません。認識する人によって、ザーヒルと呼称されるようになるのだそうです。そう、ザーヒルとは、その人の思考を支配し、それしか考えることができなくなる「何か」なのです。ザーヒルにとらわれた暁には、ザーヒルのことが忘れられなくなり、気が狂ってしまう。やがては生活能力を失い、よだれを垂らして食事も排泄も自分でできなくなってしまうのです。

 

しかし、一方で、ザーヒルはアラビア語で「明白な」という意味も持つのだそう。頭から離れない「何か」であり、変幻自在のものであり、ザーヒルは決してその全貌を見せようとはしませんが、言葉の意味ははっきりしているのです。

 

ちなみに、ネットで検索するとパウロ・コエーリョ作の「ザーヒル」が検索トップに上がるのですが、こちらも同じ「ザーヒル」を扱っているようですよ。

 

筆者のイメージによるザーヒル。

 

最後に

 

存在理由がわからないオドラデク、突然現れた正体不明の生物ミスタージョーンズ、あらゆるものになりうるザーヒル、どれも煙のように存在がつかめない印象を持ちますが、違った味わいのある主人公であり、物語ではなかったでしょうか。

 

日々、仕事や学校でははっきりした答えが求められ、答えを見つけなければならないと考えがちな私たちですが、このような謎めいたフィクションを味わってみると、現実には解決できない謎がたくさんあふれていて、別に答えなんてなくても良いのだということに改めて気づかせてくれます 。むしろ、答えがないということは終わりもないということ。作者の手を離れても生き続ける物語と言えるかもしれませんね。(文・清原啓)