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感覚的なものを一枚の紙で表現している詩
――いろいろなお話を聞かせてくださってありがとうございます。改めて、心平さんの詩の魅力について教えてください。
私がハマった理由は、「新しい」と思ったんです。私自身、そんなに文学に親しんでいたわけでもないですし、詩も全く見たことなかった。それでも、心平さんの詩集を読んで、「この人すっごい面白い!」って思ったんですね。堅苦しくない、重苦しくない感じで、今の人にも読みやすい、楽しいと思える詩が多いなと。
――心平さんの詩は、視覚的にも楽しめますよね。
そうですね。心平さんは絵も描かれるので、視覚的な詩も多く、「これは詩なのか?」って論争が起こったくらい。「音」や「絵画」みたいな、感覚的なものを一枚の紙で表現している感じなので。
人としても破天荒なので、人柄も表れていると思いますし、難しい文学に抵抗がある人にもわかりやすいと思います。
――心平さんの作品を初めて読む人へのオススメはありますか?
私がおすすめしたいのはエッセイ集ですね。詩に抵抗がある人って結構いると思うんです。先程も紹介した『酒味酒菜』という食に関する本や、心平さんは火の車という居酒屋を経営していたのですが、そこの店員さんだった橋本千代吉さん著の「火の車板前帖」がおすすめです。
「給料全部使っちゃった」とか「前借りした」とか、「カウンターを飛び越えて客に殴りかかって大変だったんですよ」って書かれてるんですけど、そういったもので心平さんの人物像を知ってから詩に入ると、堅苦しいイメージが取れて面白く感じられると思いますね。
朔太郎と心平さんの親密な?関係
――文豪だってそんなに立派な人じゃないんだ、と?
そう。心平さんのエッセイでも、中原中也とか川端康成とか高村光太郎とか、ものすごいラインナップなのに、中也と太宰治が殴り合いのけんかして大変だったとか、人間らしい一面が出るので(笑)。 プライドが高い方は、そういうエッセイも大っぴらに出さないけれど、心平さんって何でも書いちゃうんです。
だから、「中也ってこんな人だったんだ」とか、「太宰は泣きそうな顔していつも酒が回ると難しいこと言ってた」とか、ほかの文豪に対しての入り口としても、すんなり入りやすいかなと思いますね。
――心平さんといえば、萩原朔太郎とも親交があったようですね。
朔太郎さんと心平さんは、上毛新聞に掲載される朔太郎先生の「虚妄の正義」の感想を書かれたころ(1929年)が初めての出会いだったそうです。そこから心平さんの弟である詩人の天平さんなども交えて、喫茶店でよく将棋をしたり、高村光太郎さんが前橋の赤城に登るのに前橋へ集まった際に飲んだり歌ったりするなど、交流はよくあったようです。
心平さんは朔太郎さんの笑い方を、「少女の日和下駄のようにカッカッと笑った。」と表現されています。また、朔太郎さんは近代詩の父と言われていますが、「光太郎は近代詩の父、朔太郎は母、そんなことを金子光晴がなにかに書いていたが、私もそう思う。」と書いています。
光太郎さんを父のように慕う心平さんですが、朔太郎さんには「母」と言うように、女性的な繊細なものを感じていたようです。