佐野研二郎氏だけじゃない!作家・佐野眞一氏のパクリ疑惑を追及した一冊

 

しかし、一部を除いた週刊誌が軒並み黙殺したことから、業界の自浄作用を目的として、溝口氏の発案によって『ノンフィクションの「巨人」佐野眞一が殺したジャーナリズム 大手出版社が沈黙しつづける盗用・剽窃問題の真相』が発刊される運びとなった。

 

この事態に、佐野氏は月刊誌『創(2013年4月号)』に、『「無断引用」問題をめぐる最初で最後の私の「見解」』と題した文章を寄稿。かつて盗用をしたとされる溝口氏、赤瀬川原平氏、石牟礼道氏らに謝罪もしくは謝罪済みであるとした上で、以下のような釈明を行った。

 

 

「化城の人(※)」で使用した参考文献は、単なる引用と言うより、私の地の分と混然一体になっている箇所が多い。その意味から考えても、やはり初出時に典拠は書いておくべきだった

 

※佐野氏が2011年から「週刊ポスト」で連載スタートした、創価学会や会長の池田大作氏に迫ったノンフィクション。「ガジェット通信」で盗用を指摘されている

 

 

先行文献の一部に影響されるのは、多様な著作から刺激を受ける執筆者としては、いわばごく自然なことである

 

 

人が調べた事実であっても、それが「既知」の事実であるなら、少なくとも著作権法上の問題はないと考える。著作権法が規定するのは事実でなく表現である。だから事実を報道しているという見地に立てば、出店の明示は必ずしもマストではない

 

それに対し、『ノンフィクションの「巨人」佐野眞一が殺したジャーナリズム 大手出版社が沈黙しつづける盗用・剽窃問題の真相』の中で、溝口氏は佐野氏の釈明文を「物書きとして一度ならず二度、三度(それ以上)と盗用して、恥ずかしくないのだろうか」「自己弁護に終始した無残な文章」「著作権法を盾に開き直った」と一刀両断。

 

また、佐野氏が盗用をしたとされる記事と盗用元の記事を照らし合わせた対照表や、ノンフィクションライターたちが本件や佐野氏に対して意見を述べる座談会、盗用作品を出した出版社への公開質問と回答、法律の専門家による見解など、佐野氏を徹底的に断罪する内容になっている。

 

 

クリエイターが何かに着想を得て、モノづくりのヒントにすることは珍しくない。むしろ、様々なクリエイティブが溢れている世の中において、何からも影響を受けずに創作を行うことはできるのだろうか? だとしたら、どこまでがセーフで、どこからがパクリになるのか?

 

様々な議論を巻き起こした東京オリンピックのエンブレム騒動。デザイナーも物書きも、クリエイターであれば誰もが巻き込まれる危険性をはらんでおり、決して他人ごとではないという喚起にもなったはずだ。今回紹介した一冊や騒動も同様に、「パクリ」とは何かについて、考えるきっかけになるだろう(文・コエヌマカズユキ)。

photo by library images2010

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