『人間失格』を読んで、私が摂食障害から這い上がった話    

救ってくれたのは文学だった

 

摂食障害やメンタルヘルスについての書簡が数多く出ているなかで、私を引っ張り上げたのは『人間失格』という文学だった。専門家の知見より、経験者の体験談より、私が必要だったのは、人間としての共感だったらしい。

 

これだけダイエットの情報があふれ、体調管理も社会人のたしなみとされ、食事を摂ることが当たり前の営みでありご褒美にもなる人間生活のなかで、私はなかなか共感を得られなかった。「人間、失格」と自らを語る葉蔵こそ、私にとっては実態のある人間らしい人間に思えたのだ。

 

私は冒頭で、「『人間失格』を読了したとき」と記述した。実は『人間失格』と出会ったのは、摂食障害になる前である。初めて手に取ったときは中学生だった。だがそのときは『はしがき』の時点で、腹の底が騒つく恐怖を感じ本棚へ戻した。

 

次に手にしたのは高校生、つまり拒食症のときだ。当時『第一の手記』から大いに引き込まれるのを感じたが、自分の身体を騙しながら人間生活を送っていた私にとって、『人間失格』に引き込まれること自体が恐ろしかった。『第一の手記』だけを読んで、やはり図書館から持ち出さなかった。そしていよいよ過食症になり、苦しく悶えているとき書店の本棚から『人間失格』を選び取った。

 

文学とは面白いもので、自分が一番必要なときに必要な作品が現れるのだと信じてやまない。大事なのは文学から離れてしまわないことだと私は思う。もし一般的に解決への近道といわれる本、いわゆる指南書に疲れた人がいれば、ぜひ文学の棚へ足を伸ばしてほしい。文学はあなたが必要なときに、必要な作品を提供してくれるだろう。(文・遠藤希林)

状態が落ち着いた現在の筆者(2020年)。