「詩で家を建てようと思うな」 詩人・田村隆一『言葉のない世界』が包んでくれる言葉の力

日々に忙殺されているなかで、ふと我に返る瞬間がある。早起きしてしまった朝、昼間の電車のなか、真夜中の帰り道。そんなとき、そらんじる詩がある。詩人・田村隆一の詩集『言葉のない世界』だ。

 

10本の詩で構成されたこの詩集を初めて読んだとき、言葉に救われるという感覚を久しぶりに覚えた。小説とも音楽とも違う、心にじんわりと染み入り、労わってくれるような感動。今回は、『言葉のない世界』から3本を取り上げ、印象的な一部を紹介したい。

田村隆一(たむら・りゅういち)

詩人。1923年、東京生まれ。1947年、鮎川信夫、北村太郎らと『荒地』を創刊、戦後の現代詩を牽引する。第一詩集『四千の日と夜』、第二詩集『言葉のない世界』(高村光太郎賞受賞)が高い評価を受ける。生涯にわたって詩作を続けるほか、評論、随筆、翻訳なども数多く手がけた。1998年没。

 

目次

帰途

 

 

言葉なんかおぼえるんじやなかつた

日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで

ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる

ぼくはきみの血のなかにたつたひとりで帰つてくる

 

この詩は、前回記事で特集した園子温監督の映画・「恋の罪」でも扱われている。“言葉なんかおぼえるんじやなかつた”と、一見すると焦燥感が漂う。しかし、“ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる”と続く。悲しくて泣いているのか、嬉し泣きなのか分からない。それでも、涙を流す他人(ひと)に寄り添い、想いを馳せている。

 

“日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで”というフレーズも、控えめで趣きがあると思う。私たちは、互いを理解し合おうと言葉を交わす。言葉が誤解を生むことや、言葉によって苦しむこともあるけれど、人と人の気持ちの共有には不可欠だ。言葉を媒介し、自分とは違う他人(ひと)を労わることができる。そんなことを考えさせられる作品だ。

 

見えない木

 

 

たとえば一羽の小鳥である

その声よりも透明な足跡

その生よりもするどい爪の跡

雪の斜面にきざまれた彼女の羽

ぼくの知つている恐怖は

このような単一な模様を描くことはけつしてなかつた

この羽跡のような肉感的な 異端的な 肯定的なリズムは

ぼくの心にはなかつたものだ

 

“ぼくの知つている恐怖は このような単一な模様を描くことはけつしてなかつた”の一節が表しているように、悲しんだり怒ったりと、人間の心の機微は、酷く乱れがちに思える。だが動物は、生き方に迷いがない。

 

作品の舞台が冬なのも良い。太陽の昇る時間が短く、人々は何かと籠りがちになる。一方で、雪のうえに動物が描く、迷いのない軌跡。動物を人間と対比させることで、その姿がよりいっそう美しく感じられる。

 

西武園所感

 

 

詩で 家を建てようと思うな

子供に玩具を買つてやろうと思うな

血統書づきのライカ犬を飼おうと思うな

詩で 諸国の人心にやすらぎをあたえようと思うな

詩で人間造りができると思うな

詩で 独占と戦おうと思うな

詩が防衛の手段であると思うな

詩が攻撃の武器であると思うな

 

読んでいて、思わずフッと笑ってしまった。“詩で 家を建てようと思うな 子供に玩具を買つてやろうと思うな 血統書づきのライカ犬を飼おうと思うな”からは、「詩で生計を立てようとするな。食べていく手段に使うな!」と言っているようだ。たいへん人間臭さに溢れており、詩人・田村隆一を、少しだけ身近に感じられる。

 

“詩で 独占と戦おうと思うな 詩が防衛の手段であると思うな 詩が攻撃の武器であると思うな”の一節からは、詩を武装の手段としてはいけないという、詩に対する強い意志が伺える。「そう、これなんだよ。」と思った。

 

詩は、いつでも私たちの傍で、静かに佇んでいる。時おり殺伐とした気持ちになると、詩の世界に触れたくなる。そうすると、どういう訳か心が安らぐ。最近になって詩を読み始めた理由が、少しだけ分かった気がした。

 

 

12月も半ばを過ぎ、相も変わらず新型感染症に左右された2021年が終わろうとしている。年の暮れのせわしない時期を乗り越えるために、詩の、言葉の力を借りてみてはどうか。(文 らぶそん)。

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