敵はどこにいる? 『蟹工船』から読み解くブラック企業の実態と特徴

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Photo by Mr.dodo.

 

夜10時。凍てつくような風が吹き荒れる北海道の街を、A子は一人で歩いていた。気温はマイナス20度。営業先のバーまで、まだあと20分ほど歩かなければならない。重たいお腹をさすりながら、A子は真っ白い息を吐いた。

 

彼女は臨月だった。しかし、それでも仕事を休むことは許されない。体を気遣ってタクシーに乗りたいが、経費は出ない。そのため、やむを得ず歩いて移動をしていた。

 

A子の勤め先は、大手広告代理店である。仕事はフリーペーパーの広告枠の販売営業や原稿制作。ときには撮影まで行い、その際は思い機材を担いで移動する。客は飲食店が多く、取材や打ち合わせに夜中を指定されることも当たり前。

 

しかし、スケジューリングは個人の責任とみなされ、残業代や深夜手当は一切ない。結局打ち合わせを終え、この日自宅に帰れたのは深夜3時。翌日は当たり前のように9時出社である。

 

出産を終えて仕事復帰した後も、過酷な日々は変わらない。早く帰れたとしても23時。一度帰宅しても、客から呼び出しがかかればまた出かけなくてはいけない。生まれたばかりの子供の顔を見られるのは、朝の30分だけだった。

 

結局、A子が在籍していた4年間で、定時の18時に帰れた日は一日もない。本社に提出する勤怠表も、月200時間勤務を超えると警告が出るため、休憩時間などを無理やりねじ込み調整させられた。

 

給料も、客の店での飲食代や、商品購入のために飛んでいった。不条理だという思いがなくもなかった。それでも、「全部、顧客を満足させるために必要なことだから」と自分に言い聞かせ、A子は働き続けた。

 

境遇は周りの社員も同じだった。20代のある男性社員は、精神を病んで退社。またある女性社員は、入稿を終えた後に姿を見せなくなった。ほかにも心身ぼろぼろになった社員たちが、次々と会社から消えていった。

 

「あの会社で強制された長時間労働は、行動力のある柔軟な若者に、ブランドネームを与える代わりの代償だと思います」

 

現在、転職したA子は、元勤め先である企業のことをそう語る。

 

「冷静に見たら、お金大好き、社員使い捨て上等、リア充万歳という、バブル思考から抜け切れていない会社でした。奉仕の精神という言葉のもとに社員を洗脳し、捨て駒として扱っていたのでしょうね」

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