敵はどこにいる? 『蟹工船』から読み解くブラック企業の実態と特徴

4587997443_456674332e_z
Photo by Mr.dodo.

 

夜10時。凍てつくような風が吹き荒れる北海道の街を、A子は一人で歩いていた。気温はマイナス20度。営業先のバーまで、まだあと20分ほど歩かなければならない。重たいお腹をさすりながら、A子は真っ白い息を吐いた。

 

彼女は臨月だった。しかし、それでも仕事を休むことは許されない。体を気遣ってタクシーに乗りたいが、経費は出ない。そのため、やむを得ず歩いて移動をしていた。

 

sponsored link

 

A子の勤め先は、大手広告代理店である。仕事はフリーペーパーの広告枠の販売営業や原稿制作。ときには撮影まで行い、その際は思い機材を担いで移動する。客は飲食店が多く、取材や打ち合わせに夜中を指定されることも当たり前。

 

しかし、スケジューリングは個人の責任とみなされ、残業代や深夜手当は一切ない。結局打ち合わせを終え、この日自宅に帰れたのは深夜3時。翌日は当たり前のように9時出社である。

 

出産を終えて仕事復帰した後も、過酷な日々は変わらない。早く帰れたとしても23時。一度帰宅しても、客から呼び出しがかかればまた出かけなくてはいけない。生まれたばかりの子供の顔を見られるのは、朝の30分だけだった。

 

結局、A子が在籍していた4年間で、定時の18時に帰れた日は一日もない。本社に提出する勤怠表も、月200時間勤務を超えると警告が出るため、休憩時間などを無理やりねじ込み調整させられた。

 

給料も、客の店での飲食代や、商品購入のために飛んでいった。不条理だという思いがなくもなかった。それでも、「全部、顧客を満足させるために必要なことだから」と自分に言い聞かせ、A子は働き続けた。

 

境遇は周りの社員も同じだった。20代のある男性社員は、精神を病んで退社。またある女性社員は、入稿を終えた後に姿を見せなくなった。ほかにも心身ぼろぼろになった社員たちが、次々と会社から消えていった。

 

「あの会社で強制された長時間労働は、行動力のある柔軟な若者に、ブランドネームを与える代わりの代償だと思います」

 

現在、転職したA子は、元勤め先である企業のことをそう語る。

 

「冷静に見たら、お金大好き、社員使い捨て上等、リア充万歳という、バブル思考から抜け切れていない会社でした。奉仕の精神という言葉のもとに社員を洗脳し、捨て駒として扱っていたのでしょうね」

 

過去の『蟹工船』ブームとその理由

 

小林多喜二の小説『蟹工船』をご存じですか? 数年前に映画化で話題になり、流行語にも選ばれたことから「題名だけなら知っている」という方も多いでしょう。『蟹工船』が人気を得たのは、作中の過酷な労働描写に、ブラック企業の社員や、低賃金で働く人々が共感したからではないでしょうか。

 

 

長時間労働、上司からのパワハラや暴力、安い賃金など、程度の差はあっても、『蟹工船』に登場する労働者の苦しみと現代のそれには、リンクする点がいくつもあるのです。

 

「蟹工船」とは、オホーツク海で捕った蟹を缶詰に加工する、工場つきの大型船のことです。船内で働くのは貧しい農家出身の出稼ぎ労働者で、そのなかには十代の若者も数多くいました。

 

彼らは十分な防寒具も与えられず、毎日冷たい海風に吹かれながら働き続けます。あまりの寒さに風邪をこじらせる者もいますが、それでも休むことは許されません。

 

情け知らずの監督・浅川は、ノルマを達成できなかった労働者を罵り、暴力を奮います。前歯を折られて一晩中血を吐いたり、平手で何度も叩かれ耳が聞こえなくなったりする者もいました。しかし死者が出ても遺体はほとんど放置され、その「責任」を追及する者は誰もいないのでした。

 

労働者たちの会話のなかに、次のようなやり取りがあります。

 

 

「人間の命を何だって思ってやがるんだ!」

「人間の命?(中略)所が、浅川はお前達をどだい人間だなんて思っていないよ。」

 

使い捨ての道具として扱われた労働者たちは、やがて団結し、大規模ストライキを計画します。その一回目は失敗に終わったものの、二回目では浅川監督を解雇に追い込むことに成功しました。



 

物語と現実

 

蟹工船の物語が人々に支持される理由は、労働者への共感だけではありません。彼らが浅川という敵に立ち向かい、ストライキによって逆転を図る。その戦いの過程と勝利こそが、読み手の心を惹きつけてやまないのではないでしょうか。

 

しかし残念なことに、そうした仲間の団結や勝利の獲得といったものは、現実世界ではなかなか実現できるものではありません。特に、現実では勝利どころか、戦う「相手」の姿すら分からない場合だってあるのです。

 

建設会社の元社員・Hさんは、内勤で事務担当。しかし外勤はA子さんの会社ばりに激務で、月200時間もの残業や、泊まり込みでの仕事が日常茶飯事だったといいます。

 

こうした問題がなくならない原因の一つとして、「相談をしにくい環境があった」とHさんはいいます。彼女の職場は「パーテーションが高く、周りに誰がいるか分かりにくい環境だったし、気軽に相談できる雰囲気ではなかった」のだそう。

 

仕事内容や問題を共有するために、社員同士のコミュニケーションは必要不可欠なものです。しかし、それが物理的にも心理的にも難しい状態でした。これは、工場を職場とする蟹工船では起こりえない、「オフィス」ならではの欠点といえるでしょう。

 

また、「労働組合がなく、社内の問題を外に訴える社員もいなかった」とHさんは話します。確かに、組織がなければ社員が団結するきっかけも生まれにくくなりますし、問題に対処していく気力もなくなるでしょう。

 

Hさんのお話どおり、こうした社員の結束を奪うような会社の構造が、問題をより深刻なものにしているのかもしれません。

 

終わりに

 

『蟹工船』はあくまで架空の物語です。現実世界には、浅川監督のように分かりやすい敵役は存在しませんし、共に戦ってくれる仲間も簡単には見つかりません。

 

それでも人々がこの作品を手に取るのは、労働者たちが生み出した「浅川の解雇」という結末に、わずかな希望を見いだすからではないでしょうか。問題が複雑になり、より戦いにくくなった現代においても、声を上げ続ければ苦境を乗り越えられるのではないか、と。

 

『蟹工船』はそうした人々の心を、静かに支え続けている、そんな作品だといえるのではないでしょうか(取材・文 熊井りこ)。

 

※会話文 引用元:小林多喜二『蟹工船 ; 一九二八・三・一五』(岩波文庫、二〇〇三年)