“5000円札の人”だけじゃない、樋口一葉の素顔を知るため記念館に行ってきた

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樋口一葉(台東区立一葉記念館蔵)

 

樋口一葉を知っているだろうか? その名前にピンとこなくても、“5000円札の人”と聞けば、「あぁ!」となるだろう。

 

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彼女は明治5年(1872年)に東京に生まれ、明治29年(1896年)にわずか24歳の若さで亡くなった小説家だ。代表作に「たけくらべ」「にごりえ」などがある。

 

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代表作の「たけくらべ」

 

今年、樋口一葉をモデルとしたオリジナルの舞台が2本上演される。一つは永井愛・作「書く女」、そしてもう一つは井上ひさし・作「頭痛肩こり樋口一葉」だ。2016年は、樋口一葉イヤーといえるだろう。

 

なぜ、それほど一葉の生き方が注目されるのか。一葉の何が、私たちを惹き付けるのか。「5000円札の人」だけではない彼女を知るため、台東区竜泉にある一葉記念館を訪れた。

 

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一葉記念館正面(台東区立一葉記念館蔵)

 

 

昭和36年に台東区の竜泉に建てられた一葉記念館は、平成18年にリニューアルオープン。1階は図書コーナーとなっており、3階まで展示室がある。一葉直筆の資料は約50点あるとのことで、そのほか一葉の父母、歌塾「萩の舎」や作品の紹介の他、彼女が使っていたとされる文机の複製なども置いてある。

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1Fのライブラリー

 

 

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「たけくらべ」未定稿(台東区立一葉記念館蔵)

 

 

生前の一葉について、学芸員の佐藤さんにお話を聞いた。

 

裕福で幸せだった幼少期と、新聞記者との恋

 

― 幼少期の一葉の暮らしを教えて下さい。

 

父の事業が成功していたので、彼女の幼少期は家庭が裕福でした。一番幸せな時代だったと一葉の日記にも残っています。後に亡くなってしまう父親と兄もまだ健在で、家族みんなが揃って暮らしていました。

 

また一葉は読書がすごく好きで、他の子が手まりや羽根つきで遊んでいる間も、暗い蔵に籠ってずっと本を読んでいたようです。彼女は極度の近眼で知られていますが、その時に目を悪くしてしまったとも言われています。

 

 

― 父と兄が亡くなった後、一葉は戸主になって母や妹と暮らし始めます。母・妹とのエピソードは何かありますでしょうか。

 

一葉が21歳だった明治26年(1893年)頃は下谷龍泉寺町(現・台東区竜泉)に暮らして、3人で荒物・駄菓子店を営んでいました。

 

もともと一葉の父母は、農民だった時に駆け落ちで山梨から東京に出てきて、頑張って出世して士族になったんですね。ですからこれまでの暮らしに慣れていた母・多喜が転居に反対したというエピソードが残っています。

 

 

― 一葉は成績優秀でしたが、色々と親子の対立はあったのかもしれないですね。

 

そうですね。母親から「女子に学問は不要」と言われて、小学校高等科第四級を修了したところで退学させられました。父親は一葉を復学させたいと思っていましたし、本人はもっと学校に行きたかったようです。

 

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下谷龍泉町 大音寺通り家並模型(1/300)

 

― 作家を志した一葉は、明治24年(1891年)に新聞記者をしていた半井桃水という男性に弟子入りをします。恋愛関係にあるという噂があったようですが、実際はどうだったのでしょう。

 

恋心を抱いていたことは作品や日記からも読み取れます。「雪の日」という作品は、桃水との実際のやり取りがベースになっており、一葉の彼に対する想いが強く出た作品だと言われています。

 

一葉が「闇桜」という作品を載せた『武蔵野』は、桃水が作った雑誌ですし、二人は何度か手紙のやり取りもしていますから、周りの人も二人には何かあると思ったのでしょう。

 

 

― そもそも一葉は、どういうきっかけで作家を志したのでしょう?

 

一葉とともに歌塾「萩の舎」に通っていた三宅花圃(みやけかほ)が明治21年(1888年)に書いた作品『藪の鶯』が売れたのを聞いて、「じゃあ私もやってみよう」と一葉は思ったみたいです。

 

あまり十分な蔵書のなかった一葉は上野の図書館に通ったり、「萩の舎」の人たちから雑誌などを借りたりして勉強していました。

 

 

―亡くなる直前に「たけくらべ」など作品を次々と発表しています。「奇蹟の十四ヶ月」と呼ばれているようですが、なぜこの短期間に、一葉が現代にも残る名作を書き上げることができたと思いますか。

 

作品は本郷丸山福山町(現・文京区)に移った後に書かれたのですが、その直前まで一葉はここ下谷龍泉寺町(現・台東区竜泉)にいたんですね。「たけくらべ」、「にごりえ」を含めて、一葉はここで見聞きしたことを小説の題材にしたようです。

 

ここでの暮らしがあってこそ、あれほどの作品が生まれたのではないでしょうか。そして一葉の具合も次第に悪くなってきて、自分がいつまで書けるか分からないという、そういう気持ちもあったかもしれないですね、「今じゃなきゃ!」っていう。



 

酌婦や商人の声を文学にし続けた

 

―お札になったり、学校の教科書に作品が載っていたりと、知名度が高い一葉ですが、彼女の作品が広く読まれている理由は何があると思われますか。

 

例えば「にごりえ」(1895年)の主人公はお力という酌婦ですが、一葉が晩年を過ごした本郷丸山福山町の住居のすぐ隣には、お力のモデルになった女性がいる銘酒屋があり、その家の看板には「御料理仕出し云々」という文字が一葉の千蔭流の筆で記されていたそうです。

 

当時はお力のような酌婦や商いをしている人は、世間からあまり目を向けられていなかったんですね。

 

でも一葉は彼ら彼女らを見つめて、その生活ぶりを作品に描いたからここまで読み継がれているのだと思います。しかも当時は女性の職業作家がいなかった時代ですから、自然と注目を集めたのでしょう。

 

 

― 世間にあまり知られていない一葉の一面や、エピソードは何かありますでしょうか。趣味とか、友達とどういうことをしていたとか…

 

父の死後は残った借金の返済をするため、華やかな遊びなどは楽しめなかったようです。唯一、次兄虎之助作の紅入れなどが残っており、記念館でも展示しています。

 

作家の平田禿木(ひらたとくぼく)は一葉没後、「女史の貧を強調する者もあるが、女史は決してその中に埋れて、気を腐らしてしまった人ではない」と一葉を偲んでいます。下谷龍泉寺町のお店では、一葉と妹のくに(邦子)がまめまめしく客をあしらい、吉原通いの客が立ち寄るにぎやかな様子も見られたそうです。

 

あとは「食」のエピソードですと、おしるこのエピソードですかね。桃水のお家に雪の日に尋ねていった時に、「寒いでしょ」って言って、彼がおしるこを出してくれたことが日記にも綴られています。それは一葉にとって大切な思い出だったと思います。

 

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一葉が愛用していたくしや紅入れ

 

 

― 今年は一葉を主役とした戯曲が2本上演されますが、彼女が起用されていることについてどう思われますか。

 

樋口一葉という人物について色々と知ってもらえて、とても嬉しいです。以前「頭痛肩こり樋口一葉」を観に行ったのですが、コミカルで見やすく、伝わりやすい内容でした。

 

一葉をあまり知らない人が見ても、彼女のことを知ってもらえるきっかけになるのではないでしょうか。公演を見て一葉記念館に足を運んでくれた方もいるようです。

 

 

― ありがとうございました。最後に読者へメッセージを頂けますでしょうか。

 

自分と同じ世代の一葉の人生を、そして知らなかった彼女の一面を、一葉記念館に来て発見してもらえたら嬉しいです。一葉の生き方を知ることで、自分のことについても客観的に考え、新たな視点で自分を視るきっかけになってもらえればと思います。

 

こちらでは各種催し物も随時開催していますし、3月からは【春の錦絵展「吉原の櫻」】、4月からは【企画展 樋口一葉の芸術小説〜「うもれ木」に見る陶芸の世界〜】も予定していますので、この機会にぜひ足を運んで頂ければと思います。

 

 

逆境をバネにした一葉の人生

 

貧困に苦労した一葉。日記からは遊んだ記述もあまり見受けられず、彼女は自分の暮らしを見つめ、ただその時代を書き続けた。作品に出てくる女性の描写は、女の一葉であるからこそ書けたのかもしれない。

 

当時であれば顔をしかめられる内容のものもあったのだろう。でも敢えて、彼女は書いた。作品の発表は彼女にとって、世間に向けて挑戦状を叩き付けるようなものだったのかもしれない。

 

今は女性の社会進出も進み、彼女達はあらゆる分野で活躍が期待される。一葉はその先駆者だったのだろう。今の時代にこそ、彼女のすごさが伝わってくる。(取材・文 平賀たえ)

 

 

台東区立一葉記念館

住所:東京都台東区竜泉3-18-4

アクセス:東京メトロ日比谷線「三ノ輪」駅1b出口より徒歩10分

開館時間:午前9時〜午後4時30分(入館は4時まで)

休館日:毎週月曜日(月曜が祝日の場合は翌日)

入館料:大人300円、小中高生200円

TEL: 03-3873-0004

WEBサイト:http://www.taitocity.net/taito/ichiyo