『獲物山』サバイバル登山家・服部文祥さん 常識を鵜呑みにする奴とは付き合わない

 

服部文祥という人物をご存知だろうか? 必要最低限の荷物だけを装備し、食料なども全て現地で調達する「サバイバル登山家」だ。テレビ番組「情熱大陸」「クレイジージャーニー」で取り上げられるなど、メディアへの露出も多い。また多数の著書も持ち、『ツンドラ・サバイバル』は第5回梅棹忠夫・山と探検文学賞を受賞した。

 

 

そんな服部さんは2016年12月、自身の狩猟記録をまとめた『獲物山』を出版した。同書について、そして服部さん自身に関して紹介したい。

 

世界中を旅しても、自分は「ゲスト」でしかなかった

 

そもそも、服部さんはなぜサバイバル登山を始めるようになったのか。そこには、彼自身の体験が大きく影響している。

 

大学時代から本格的な登山をはじめ、世界各地を旅しながら、名だたる名峰を登頂してきた服部さん。各地で見る光景は美しかったが、一つの違和感をぬぐえなかったという。それは、自分が「ゲスト」でいる感覚だ。

 

例えばモンゴルの奥地に行き、遊牧民と生活を共にする。しかし、モンゴル人として生まれ、遊牧民として生活を積み重ねた彼らの人生までは体感できない。あくまで旅行者として、遊牧民の過ごす時間や行為を“体験”しているにすぎないのだ。

 

旅先の人々と同じ風景を見るために、服部さんは一つの答えを見出す。それがサバイバル登山だった。自分が生きるために動物の命を奪い、食べる。ケーブルカーなどには頼らず、自分の肉体のみで山に登る。登山道は使わず、沢とヤブを突き進む。その先にこそ、本物の風景が見えると気づいたのだ。

 

市販の肉を食べることは「ズルい」

 

サバイバル登山において、食料は基本的に現地調達だ。タンパク質を確保するために山の鹿を殺し、内臓を取り出し、肉を解体して食す。決して楽しい行為ではないが、生き抜くためには不可欠だ。

 

その体験を経てから、服部さんは、市販の肉を食べることを「ズルい」と思うようになったという。スーパーに行ってお金を払えば、食べやすいサイズにカットされた食料を買うことができる。消費者は不快な殺しの作業を他人に任せて、その手間にお金を払っているのだ。

 

「そういったカラクリを知らずに、お金を払って解決していることはすべて、ズルいというか、気分が落ち着きません。一部の先進国に『富』というエネルギーの成れの果てが集まって自由に使っている――自分たちの命や快適を優先して当たり前だと思っている――のは、ズルいとおもいます」

 

「獲物山」には、狩りの風景ならず、狩猟後の鹿の生首や、日常的に食している亀の解体作業、動物により腿だけが齧り取られている蛙の姿など、目をそむけたくなるような写真も多く収められている。

 

パソコンに向かって労働することが「仕事」といわれ、野山で動物を狩り、食べる行為が「遊び」になっている現代。私たちは「仕事」の対価としてお金をもらい、それを支払って食物や快楽を教授する。そのことに何の疑問も抱かない。システムの中をただ生きているだけになっていないか。服部さんの言葉や「獲物山」には、そんな問題提起が表れている。