料理は人生そのもの!?レシピを超えたレシピ本「亡命ロシア料理」

例えば、とあるきっかけで素敵な人(容姿に関して)に出会い、話してみるとその内面にも惹かれ、いつの間にかその人のことしか考えられなくなる。一目惚れとは大体そんな感じであり、それは書店で本を買うときなんかにも起こり得る。少なくとも私はそういう体験をした。

 


「亡命ロシア料理」。シンプルながらもインパクトがあるタイトルで、何が書かれているのか興味をそそる。表紙には、美味しそうというよりは何をどう調理したのか全く分からない、異国感の強い料理の写真が4つ並んでいる。我慢できずにページを捲る。

 

目次には、

 

  • お茶はウォッカじゃない、たくさんは飲めない
  • 帰れ、鶏肉へ!
  • 100%人生ジュース
  • キノコの形而上学
  • クルコヴィの木で絞首刑!
  • なまけ者のためのペリメニ
  • 女性解放ボルシチ

 

気付けば足はレジへ。

 

そんな経緯で数年前に出会い、いまだに愛読している「亡命ロシア料理」について、改めてその魅力を紹介したいと思う。

 

 

本書は1996年、出版社未知谷より発行。著者はソ連からアメリカに亡命した二人組の批評家ピョートル・ワイリとアレクサンドル・ゲニス。“文学的料理エッセイ”と言われるこの本は、もちろん実践的なレシピ本としても使えるが、特筆するべきは「料理」という題材から人生をテーマにした優れたエッセイになっていることだ。

 

著者は故郷の料理をしみじみと懐かしみ、ジャンクフードを罵倒する。派生してほとんど関係のないようなことにまで、二人が飾らない文章で噛みつくのがこの本の魅力であり、発行から20数年経った今でも根強いファンがいる理由の一つだろう。そしてなにより( )書きを使った解説と皮肉が面白い。本文においても使わせてもらおうと思う。

 

あなたの好きなロシア料理は?

 

そもそもロシア料理と聞いて、どれだけの人が思い浮かぶことがあるだろうか。せいぜいピロシキとかボルシチといった名前が出るくらいか(ちなみに私は酒飲みなのでウォッカが浮かんだ)。美味しいロシア料理屋を知っている人もそういないのでは。イタリアンやフレンチ、中華、エスニックなど様々な国の料理を食べることができる日本で、ロシア料理の影は正直薄いかもしれない。

 

本書の序文でも語られるが、日本料理とロシア料理の共通点は少ない。しかし文化の差異はしばしば、一致よりも多くの実りをもたらすという。変に日本人の味覚に合わせたりはせず、昔からある作者不明のレシピで作られた料理を食べることはそれだけで旅行であり、ロシアの魂を知ることに繋がる。

 

雄大な自然や歴史のある建造物を見るのも旅行の醍醐味ではあるが、その土地の物を食べることの方がよっぽど手軽で、より深くその国を知ることになる。

 

政治や社会、風俗、文学までバッサリ

 

ではロシアの魂とはどのようなものなのか。ウォッカで有名なお国柄、さぞかし豪快で荒々しいのかと思いきや、その入念さに驚く。目次で紹介した『お茶はウォッカじゃない、たくさんは飲めない』で、筆者は「だいたいにおいて、料理というのは才能よりも熱意を必要とするユニークな芸術だ」と語る。

 

陶磁器のティーポットを温め、その中にお茶をティーカップ一杯分につきスプーン一杯と、それにプラスしてティーポットのためにスプーン一杯を入れ、沸いたばかりの熱湯を注ぐ(沸きすぎたのはだめ!)。4分間お茶をよく出す。そしてかきまぜてカップに注ぐ。一杯のお茶を淹れるそのこだわり。湯を注げば終わり、というティーバックを欠陥商品と言い張るところも清々しい。

 

また『シチーの香り』では、伝統的な国民料理ロシア風キャベツ汁シチーが衰退してしまったことを嘆き、その魅力を伝える。シチーは上等な牛肉とキャベツ、キノコ、ジャガイモを月桂樹の葉などで香りをつけて煮る。仕上げには乱切りした塩漬けキノコを乗せるといいらしい。しかしここで例の括弧書きで(みなさんがどこで塩漬けキノコを手に入れられるのか、見当もつかないのだけれど)と言い放つ。

 

そう、この本はただのレシピ本ではないのだ。ロシア料理を作る上で欠かせない調理器具(代表的なものは壺。壺なんてどこで買うのか)、新鮮な食材、調味料(あらゆる料理にサワークリームを使う)、はたまたその食べ方まで。全てが揃ってこそのロシア料理なのだ。ロシアの魂なのだ、と二人の批評家は語る。

 

そしてその情熱は料理から、政治や社会、風俗、文学など様々な対象に焦点を当てる。そこで出た印象的な言葉のいくつかを紹介する。どんな料理の話からここまで話が飛んだのか、ぜひ想像して本書を読んで確認していただきたい。

 

美味しく食べ、楽しく生きよう

 

・結局のところ、利益と喜びを兼ね備えていて、その上あまり時間とお金がかからない創造的な仕事など、この人生にそんなにたくさんあるものではない。

 

・おたま(必ず木製のでなければならない!)を持って鍋の前に立つとき、自分が世界の無秩序と闘う兵士の一人だという考えに熱くなれ。料理はある意味では最前線なのだ。

 

・しかし、人生とはそもそも有害なものなのだ。なにしろ、人生はいつでも死に通じているのだから。

 

・亡命ロシアセックス

 

・なにしろ「ハムレット」は、シェークスピア劇場で観ることもできれば、集団農場の文化会館でも観ることができるのだから。

 

これはほんの一部であり、ユーモアと核心を突いた言葉がいくつも出てくる。私は特に次の言葉が印象的だった。

 

 

あなたを朝食に呼ぶのは、お腹ではなく、目覚まし時計だ。ランチの時を知らせてくれるのは、自然ではなく、上司である。大宴会ですら、馬鹿げたしきたりの重圧のせいで陰気になる。

 

ほとんどの人に思い当たる節があるだろうと思う。朝食はシリアルかゼリー飲料、昼食に牛丼をかきこみ、夜は宴会という生活を送っていた自分には痛くこの言葉が響いた。

 

しかし誰だってお腹が空いたときに好きなものを食べたい、ただそれができないのが現実だと諦める人も多数いるだろう。本書はそうした現実の中で、改めて食の概念を見直すようにと訴えかける。食への興味が失われ、やれダイエットや、効率性を求めてサプリメントなんかに頼って生きることはあまりに寂しい。どうせなら美味しく食べて楽しく生きるべきだ。

 

きっと本書を読み進めるたびに、馴染みのない食材、調理法を想像し食欲が駆り立てられる。そしてなによりキッチンに立ちたくなる(もちろん片手には木製のおたまを)。それこそが食道楽のための一歩であり、人生を少しだけ(しかし確実に)豊かにするきっかけになる。こんなに美味しい一冊は他にはないだろう。

 

せっかくなので、本書を愛読しているという新宿ゴールデン街「ジャンジュネ」のナオさんにいくつかのレシピを再現していただいた。