※前回のインタビューはこちら
将来に不安を感じることはなかった
—クラシックの世界は、食べていくのがとても難しいとよく耳にします。これまで金銭的にせっぱつまることはありませんでしたか?
それはなかったです。もちろん収入はすごく低いんですけど、30歳直前まで実家にいたので。
バーでピアノを弾くアルバイトを学生時代から10年間続けていたほか、大学の非常勤講師など、音楽に関するアルバイトをちょこちょここなしながら、なんとか成り立ってはいました。
—そのような状況で、将来に対して不安はありませんでしたか?
金銭的に安定したいという気持ちは、あんまり持っていなかったです。まあ、なんとかなるだろうと。それに実際なんとかなってたんですけどね。
ある意味では恵まれていたということですよね。それに、お金が全く入ってこなくなるという状況は考えていなかったです。一緒に演奏している仲間たちがいたので、そういう関わりで(仕事をもらえて)なんとかなるだろうと楽観的に考えていました。家庭があれば別ですが、自分ひとりだったので。
—交通費のみのほぼボランティアのような状態で佐村河内さんからお仕事を受けている時代があったそうですが、ジャンルを問わず、若手クリエイターだとそういったケースも多いですよね。
まあ、やっちゃいますよね。若いうちはそれが実績になることもあるだろうし、その点難しいとは思いますね。割に合わない仕事だからといって断ってばかりでも、それが自分の可能性を狭めてしまう場合もあるでしょうし。
でもまあ、社会のルールの中でやるには、お金の部分はあんまりいい加減にするべきではないですよね……と言ってはいるんですけど、自分はそういうのができないタイプです。「楽しそう」と思ったらすぐに手を出してしまいます。生活をおびやかしちゃったらそんなこともいってられないとは思いますけど。
大学講師時代の教育方針は、「なんでもあり!」
—講師として10年間、桐朋学園大学で生徒を教えてきた中で、新垣さんが教育の面で心がけていたことはありますか?
作曲の基礎・応用課程とあるうち、私は応用を教えていたのですが、「音楽はどんなジャンルのどんなものでも研究材料になるんだ」という考えのもと、かなり勝手にやっていました。
ただずっとCDをかけているだけとか、アニメのDVDをひたすら見ているだけの時もあって、学生からは呆れられたりもしていました。「先生、これはいったいなんの授業なんですか?」と言いわれた時も、ためらいなく「音楽の授業です」と言っていました。「これのどこが授業なんですか?」と言われたこともありましたが、それにもめげずにですね、平気な顔をして続けていました。
作曲や演奏においては、技術が90%、残りの10%がいろんなものに対する知識から構成されていると思います。わたしの授業では、その10%の部分を担当していたということです。
—ということはつまり、作曲する際には技術だけで90%が作れてしまうということですよね。大衆を感動させられるような曲をほぼ技術のみで作り上げてしまうということは、なんだかすえおそろしくも感じられますが……。
あぁ、そうですよね。だけど、そうはいっても人間を通しているので、技術100%の機械とはちがうわけです。感情が入っていなくても作曲できるというのはちょっと極端な状況でして、複雑な心をもつ人間がやっている以上、技術のなかにも少なからず感情は入ってしまうものなんです。
音楽はすべてエンタテイメントである
—新垣さんはいろいろな分野の音楽を手掛けてこられましたが、「エンタテイメントとしての音楽」と「芸術としての音楽」、今後はどちらに比重を置きたいと思いますか?
そもそも、「芸術」と「エンタテイメント」の区別っていうのも分からないものなんです。一般的にはクラシック音楽が芸術とされていますが、「音楽はすべてエンタテイメントだ」と言っていいくらいでして。例えば、「YMO」はポップだけどアートでもありますし、一概には区別できないものですよね。
だから、アートと言われているものもやりたいですし、それと同時にエンタメもやりたい、という欲張りな状態です。
—ゲーム音楽の作曲も手がけていらっしゃいますし、本当に幅広く活動されていますよね。
「映像に音をつける」ということにすごく興味があったんですよ。なので、渡されたゲームの映像シーンを見ながら、その場面にふさわしい音楽をつける作業はとても楽しかったです。
今後は映像だけでなく、演劇での舞台音楽も機会があればいいですね。オペラなどもひっくるめて、そういう関心はもっています。そういうことに関しては、ごくごく普通に欲張りです。音楽に関しては、いわゆる「オタク」って言われているうちの一人ですから。
※
音楽の話になるととても饒舌で、熱もこもり、「あぁ、しゃべりすぎてしまいましたね」と申し訳なさそうにはにかむ。そんな、新垣氏の新たな一面を垣間みることのできるインタビューだった。(取材・文 月に吠える通信編集部)