【後編】第53回文藝賞「青が破れる」町屋良平さん―言葉と小説の関係をめぐって

 

※前回の記事はコチラ

 

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読者の方の感想から新しい発見があるのも楽しい。

 

――「青が破れる」というタイトルについてもお聞きしたいです。青というもののイメージとして、作品のなかでは水や空のモチーフが書かれていたり、作品自体が青春小説であるという見方もあると思うのですが、青に込めた意味といいますか、どんなイメージで作られたというのはあるんでしょうか。

 

これに関しては、読者の人にすべて委ねています。ただインターネットで見かけた感想や、身の回りの人なんかに言われたのが、ボクシングなので青コーナーとか、破れるっていうことで敗北的なイメージを持たれる方もいらっしゃるようなんですが、僕自身はそういう風には考えてはいなかったですね。ただ、そういう風に考える方がいらっしゃるというのは新鮮でした。

 

 

――読者の人の声を聞いて、自分で書いたものだけど新しい発見があるということですね。

 

ありますね、本当に。すごくあります。そういうのも楽しいですね。

 

 

――ちなみにボクシングは昔からやっていらしたんですか。

 

そうですね、もう気がつけば5年くらい……。

 

 

――今回は題材にしたということもあると思うんですが、ボクシングをやることで小説に何か影響したことはありますか?

 

いろんな人がいるっていうのはやっぱりありますね。ボクシングジムに来る若い男の子っていうのは、あまり普段接するタイプではないので、特にプロになろうとしている子の姿を実際に見るというのは、非常に新鮮なものがありますね。

 

 

――ひたむきに努力している姿がっていうことですかね。

 

そうですね。もう、とにかくひたむきさ、努力はすごいです。あとは、ボクシングをやっている子っていうのは、もう強さを求めている時点で雄々しいのですけど、趣味が意外に、多彩なところもあったりするんですね。性別意識が薄いというか。

 

たまに元チャンピオンの内藤選手がテレビで言ったりするんですけど、スイーツが好きだとか、服がピンクだとか、そういうことがちょいちょいありまして。

 

昔みたいにハングリー精神一辺倒っていうイメージはマニアが作り上げているところが大きくて、減量なども栄養学の知識などを学んで論理的に、効率的に取り組んでいる選手も多い。ボクサーといってもほんとに多彩で、いろんな人がいます。

 

 

――大変興味深いですね。そういった色々な人との出会いが、直接的ではないにしろ小説にも活きてきているんですね。


 

まだ霧の中にある、小説だからできること。

 

――「青が破れる」の話に戻りますが、選評のなかで、町田康さんが「人の抱える切なさ、遣る瀬なさ、は定型化され詩になり、歌になる。ここではそれが小説でしか描きえないやり方で描かれている」ということをおっしゃっていました。小説だからできること、小説でなければできないことというものをどのように捉えていらっしゃいますか?

 

それに関しては、本当にわからないので、いろんな人に教えてほしいです(笑)。書きながら考え中ですね。

 

 

――小説だからできることを書いていきたいという思いはありますか?

 

うーん……それも霧の中って感じです。まだやっぱり難しいなって思いますね。

 

 

――今後はどういったものを書いていきたいですか?

 

基本的には、あらゆる意味で自由で伸びやかで、広やかな小説を目指して、頑張って書いていこうかなと思っています。文学っていうものの流れを意識しつつ、その上で、自由に書いていきたいですね。

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