【前編】第53回文藝賞「青が破れる」町屋良平さん―言葉と小説の関係をめぐって

 

小説の中で、その言葉との「契約」をどれだけ強く結べるか。

 

――町田康さんとの対談でも言葉について色々とお話しされていましたよね。なかでも特に「小説で表現するなら、物語と言葉の関係を一番強く考える必要がある」「言葉というのは仮にレンタルするもの、というようなイメージ」とおっしゃっていたのが印象に残っているのですが、それについて詳しくお聞きしたいです。

 

物語と言葉の関係というのは……ぼくは漫画が好きなんでまず漫画で例えますけど、漫画においては絵がまずあるので、絵に作者の隠しきれない特徴や色がでてくる。それが物語を彩っていきますね。その絵のタッチのようなものが、小説においては文章にあたると思っています。

 

ようするに、物語をどういう文章で書くかということを考えることが、ぼくが小説を書く上で一番大事にしているところです。どういう文章をつかって物語をつくると一番小説として生きてくるのかっていうことを、考えるということですね。

 

音楽にたとえるなら、対談で町田康さんがおっしゃっていたようなことですけど、抽象化された歌詞で綴られた感情も、歌や声がついているから人の琴線に触れたりする。その歌や声にあたるものを文章でつたえていくにはどうするのがいいか、ということを一番に考えています。

 

 

――後者の「言葉というのは仮にレンタルするもの、というようなイメージ」というのは?

 

よく「自分の言葉で考えを述べなさい」とか言われたりしますが、自分だけの言葉っていうのはないですよね。親や先生に教わったり、歴史に学んだり、読書で覚えたり、ようするに自分の頭だけで言葉を生み出すということはできない。

 

でもなんで自分なりの言葉が出てくるかっていうと、小説を書く上ではひとつの小説において、その言葉との「契約」をどれだけしっかり結べるかにかかっているとぼくは思っています。「契約」というのは、「言葉と自分の感覚をその都度で結ぶ」というふうに捉えて、一文ずつそれを更新してゆく。それが「レンタルする」という表現にも繋がったと思います。

 

 

――なるほど、ひとつの作品に対して、最適なといいますか、こういう言葉が良いというものが、それぞれの作品によってやはり違ってくるっていうことですかね。

 

それをできるだけやるようにしています。そこが、なかなか不勉強で、まだまだだなって思ってます。

 

 

――実際に単行本に収録されている「脱皮ボーイ」と「読書」というもう2作品は、「青が破れる」とはまた全然違ったテイストで書かれていると感じました。それぞれの作品ごとに考えて書いているということですよね。

 

はい、まさしくそうです。


 

ガツン! ってなるようにしています。

 

――町屋さんの小説では視点の考え方、主体をどう置くかということについても、意識して書かれているのかなという印象があります。「青が破れる」のなかだと終盤の「神様……」という呟きがあるところで、あえて秋吉と梅生の主体を明確にしないで書いている。そうすることで、登場人物の感情というよりは読者のほうに迫ってくる感情というような印象を受けました。この辺のシーンはどんな風に書かれたんでしょうか。

 

あまり作者のエゴが出ない限りにおいて、やっぱり……ガッ! ていう感じで(笑)。ガツン! ってなるようにしています。頭で考えたものをほんの少しでも越えられるように。自分の認識を更新できるように。その上で意図しすぎない、計算しすぎないように。

 

 

――これが一番書きたいというものもありつつ、でも押し付けにならないようにというバランスみたいなものがあるんですかね。

 

そうですね、バランスは非常に大事にしてます。

 

 

――主体や視点の話でいうと「脱皮ボーイ」や「読書」でも視点の切り替えが印象的だと思いました。それも意識して書かれていますか。

 

うーん、好きでやっているって感じですね。やってやろうっていう風じゃなくて、そういうのが単純に好きだからやっているって感じですね。(取材・文 ナガイミユ)

 

後編に続く