【3/3】ノンフィクションライター・北尾トロさん 「月に吠える通信」でも「月刊文春」でも全力で書くべし

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個性や面白さを出すには無駄も必要

 

― 技術よりも、まずは「何をしたいか?」が大事なのですね

 

文章は小説家じゃない限り、ある程度までは上手くなれる。一応原稿料をいただけるようにもなれるよね。取材も場数を踏めば慣れていくし。

 

でもそこから微妙な面白さや個性を出せるようになるには、本人次第なんだけどさ、無駄も必要なわけ。お菓子を三年間食い続けるとか、若くてお金がなくて、ヒマな人だけができることを惜しまずやっておくと、別の道が開ける可能性があるんですよ。

 

売れっ子になったり家族ができたり、忙しくなっちゃうと、やりたくてもできなくなっちゃうことがたくさんある。誰からも期待されていないし、知名度もないからこそ突き詰められることがあるはずで。

 

それで「こいつは本当のバカか」って思われたら、「その企画は無理だけど、お前は面白いからこういう企画をやらない?」って声がかかる可能性もあるわけじゃん。

 

ただ大人は意地が悪くて、大体見抜いちゃうところがあるので、ネタで三年食ったってダメなのよ。そこはウソをつくと、あとあと本当に三倍返しぐらい喰らうから。

 

― したいことがあっても発表の場がない人は、ブログなど自分を使って自分で発信するべきですか?

 

やるのは別にいいけれど、やった方がいいとは思わないです。ブログだと編集者がいないので、垂れ流しの文章になってしまうから、それは違うよね。あと、無料で読めるということは、読者もシビアな要求はしないよね。

 

つまりブルペンですよ。ふわふわした球を投げていると、商業誌などで本当に頑張らないといけないとき、ピッチングフォームを忘れちゃう。変な癖がつくくらいなら、やらない方がいいと思う。

 

それを踏まえた上で、肩を温めるためや、新しい球を研究するためだったらいいとは思うけど、実力が付くことはないと思った方がいい。僕は自分でメルマガを出していますけど、何の期待もしていない。ただの忘備録的な、この日は何をしたとか何を書いたとか、後で確認するための意識だよね。

 

果物屋はただで果物を配らない

 

― 確かに、ゆるい環境に慣れてしまいそうな怖さはありますね

 

あと、プロのライターとしてやっていく気なのであれば、自分の生活の糧となる文章を安売りしないっていうか。果物屋がお金払って仕入れた果物をただで配らないでしょ?

 

ライターは仕入れが無いように思えるけど、書くことって取材の意識がなくても、日々の暮らしから選び取ったものだから、実は元がかかっているんだよね。それを素人と同じ土俵にわざと行って、つまらない内容で書くのであれば、やらない方がいい。

 

僕が一番いいと思うのは、何人かで書くことです。すると比較されるわけでしょ?勝負の場というかね。ライターの本能としては、読者に「お前の原稿が一番良かった」と言われたいはず。「こいつがこう書くなら、俺は次はこういこう」とか「全体がこういう雰囲気だから、テイストをこうしてみよう」とか考えるしね。小さな媒体でもメジャーな媒体でも、頭を取りたいっていうのはあると思うんです。

 

― ライバルがいると切磋琢磨してモチベーションもあがりますよね

 

小さいメディアでも一つの場なので、関わる皆が大事なチャンスだと思って、頭を取ろうとやっていれば、面白くなるんですよ。言われたから仕方なくやっていては面白くないし。

 

小さいところで頭を取ると、「俺はこんなところで書いてちゃダメだ」って妄想が膨らんで、「もうちょっと面白い奴がいるところに交じってやりたい」って欲求が出てくると思う。だからこの月に吠える通信も、しのぎを削る感じのものになるといいね。(取材・文 コエヌマカズユキ)

 

 

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