本にすることに戸惑いもあった
――新刊の発売が決まって、率直にどんな気持ちでしたか。
ライブで朗読する前提で書いていたので、文字で読む本という形になったときに、読んでくれた人に意味がちゃんとあるだろうかって不安でした。編集者さんにも「これは紙にして大丈夫ですか?」って何度も聞きました。
ーーそれに対してはどのようなお返事が?
大丈夫です、って言い続けてくれました。私がためらっていたのを察して、詩集ではなく「朗読詩集」ってつけてくれたんです。本のコードも詩集ではないものにしてくれて。
左開きなのも、ライブでは詩を横書きにして朗読しているので、それを再現しましょうってことでこうなりました。文章の区切りもほぼライブで読む紙のそのままです。
最初の遊び紙の赤い紙も、実際のライブで使っている紙とほぼ同じ色にしてくれました。編集の方と一緒に作った感じです、本当に。
ーーとても良い編集者の方に恵まれたのですね。そもそも新刊は、どういった経緯で出版が決まったのでしょうか。
ライターの南陀楼綾繁(なんだろうあやしげ)さんが、一緒にトークイベントをやろうって誘ってくださったんです。新潟の魅力と「残念」を語ろうって内容で(笑)。南陀楼さんも皓星社さんから本を出しているので、編集の方が見に来てくれて。
そのときに、声をかけていただきました。元々ある詩に、半分くらい書きおろしを加えて、だいたい一年弱で本になりましたね。
ーーー読者や周りの人から、何か反応などはありましたか?
ライブでは瞬発的には理解できるけど、本だと言葉の意味がさらにわかるから、紙にした意味はすごくあるよ、って言ってもらえてうれしかったです。
ドリアン助川さん・草野マサムネさんから届いた言葉
ーー本の帯にドリアン助川さんと草野マサムネさんが寄稿されていますが、どういった経緯で書いていただいたのでしょう。また、いただいた言葉を見てどう思いましたか?
ドリアンさんの、若者の悩み相談をするラジオ「正義のラジオ!ジャンベルジャン!」をずっと聴いていたんです。救われていたし、ずっと好きで。ドリアンさんも皓星社さんから本を出していたので、その繋がりで引き受けてくださいました。
実は『あなたとわたしのドキュメンタリー』が出たとき、ドリアンさんにお渡ししたんです。そうしたら、ドリアンさんが支援をしている子どもたちと一緒に朗読してくださって。その出来事を文章で書いてくださったんです。
そのときから、次の本は絶対ドリアンさんにお願いしたいと思っていました。
――それだけ思い続けていた方が言葉を寄せてくださって、本当にうれしいですね。
草野さんは、1冊目の『あなたとわたしのドキュメンタリー』を読んでくださっていたようで、ライブに来てくださっている方が「スピッツの会報で(本が)紹介されてるよ! 詩にロックを感じる、って書いてくれてる」って教えてくれたんです。
そのご縁で帯をお願いしました。本当にびっくりしたし、あらためて、世界は地続きなんだなって思いました。(取材・文 月に吠える通信編集部、岩本彩)
※後編へ続く