西加奈子が信じる、かもめが「えっきょー」と鳴く世界観【東京国際文芸フェスティバル2016】

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学生がそれぞれの母国語で朗読するポエトリー・リーディング 写真は「文芸部・俳句部唯一の男子です!」とさわやかに自己紹介する沖縄県の男子高校生。学生がそれぞれの母国語で朗読するポエトリー・リーディング。写真は「文芸部・俳句部唯一の男子です!」とさわやかに自己紹介する沖縄県の男子高校生。

 

 

2016年3月2日。六本木、森タワーにて東京国際文芸フェスティバルのオープニングセレモニーが行われた。二年ぶりに行われたこの文学の祭典。

 

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第一部では「国境・人種・時空を超えて、文芸とポエトリーが出会うとき」というテーマが掲げられ、三カ国(日・米・韓)の学生によるポエトリー・リーディングが行われた。

 

学生たちのポエトリー・リーディングの最後には、アメリカの詩人、エリザベス・アレグザンダーが登壇。オバマ大統領就任式典のために書かれた詩で、ベストセラーにもなった「この日を寿(ことほ)ぐ歌」を日本で初朗読し、国際色豊かな詩のセッションを締めくくった。

 

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左から角田光代氏・イーユン・リー氏、小野正嗣氏。トークの終盤にはリー氏が書いたエッセー「聞くこと、それは信じること」(MONKEY Vol.8 2016年の文学 篠森ゆりこ訳)の一部を朗読し、会場は盛大な拍手に包まれた。

 

 

第二部では「離れるほどに近くなる―私から離れて生まれる物語、私の中から生まれる物語」というタイトルで、映画化もされた「千年の祈り」の作者であるイーユン・リー氏をゲストに、芥川&直木賞作家である小野正嗣、角田光代両氏とのトークセッションが行われた。

 

 

トークでは、イーユン・リー氏が何故母国語の中国語ではなく、英語で小説を書くのか、短編と長編だとどちらが執筆しやすいかといったトピックスでトークを展開。特に母国語でない言葉で小説を書くことについては、フランス語の翻訳者でもある小野氏や、源氏物語を現代語に解釈し直しているという角田氏にとっても気になるトピックスであったようだ。

 

小野氏が日本語とフランス語で書く文章の違いについて、「僕の場合は短いものしか書いたことがない。日本語だとややうっとおしいと文章と言われるのですが、フランス語で書くとそれほど長い文章を構築できない。(フランス語だと)シンプルにしか書けないのでそこが大きな違いだと思います」とジョークを交えて語ると、リー氏も「私が小説を中国語で書くと、お母さんが読んでしまうから、英語でしか書けない」と、小説を書くことに付随する複雑さについて、ユニークに表現する、といった一幕があった。

 

短編と長編だと、短編が描きやすいという角田氏とリー氏。二人とも世の中の大きなニュースと小さなニュースだと「小さなニュース」が気になるという。ささやかなニュースからこの人はどういう人なのか?と人間に対する興味が広がり、想像力が広がるとのこと。

 

中でもリー氏が目にした『すいか医者捕まる』という記事は、医者を語る男が病気の老婦人に「スイカを食べると治る」という医療詐欺を働いた話だ。

 

リー氏は、そのような診断を偽医者はどのように彼女に納得させたのか、また老婦人はどうして信じてしまったのか興味が尽きないと語り、角田氏も「すごく気になる話ですね」と興味津々 。現実の小さなエピソードの魅力が語られた。

 

また、リー氏が文芸誌「A PUBLIC SPACE」の編集長ブリジット・ヒューズと対談したなかから、「物語を書いたら、その物語が外へ出かけて行って、ある物語と語り合うと言う風に考えたい。私の物語は世に出て、提出するための場を、ウィリアム・トレバーの物語が作ってくれたので、私の物語は彼の物語と語り合っています」という言葉を小野氏が紹介し、リー氏の執筆スタイルの独自性についてトークが進む。

 

常に何人かの作家たちが念頭にあり、頭の中で議論したり論争したりしながら小説を書いているというリー氏のスタイルに対して、角田氏はこんな雰囲気を書きたい、と思わせてくれる作品に出会うことで小説を書きたくなるということがあるという。

 

同時代の作家の作品を読むことで喚起されて小説を書くということを、小野氏は「他の書き手に書く場所を作る」と表現し、優れた作品は、他の書き手にそのような部分を与えてくれる、と小説を書く醍醐味を語った。



 

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続く第三部では「キテレツのチカラ ――フィクションにしか伝えられないもの」というテーマで、シュールな舞台設定で人間のリアリティを描く短編の名手であるセス・フリード氏の短編集「大いなる不満」(新潮クレストブックス 2014)のキテレツな面白さを、同書を翻訳した藤井光氏と直木賞作家の西加奈子氏が楽しく解説し、その世界観の謎に迫った。

 

 

「大いなる不満」の中には、「サルをカプセルに入れて火山口に投下するプロジェクト下で起きた悲劇」や、「あらゆる事故が起きて人が死ぬピクニックの場所に、それでも人が遊びに行く話」等がカラフルに描かれている。

 

西氏は「キテレツな話だけれど、キテレツだけではない真実が描かれている。読み進めて行くうちに、これは私達におこった話だったかもしれないと思わせてくれる作品」「さらにすごいのが、このキテレツな設定を大げさに書いてない!どや?すごいだろ?という『どや感』が全くなく書かれていて、セスさんが切実な気持ちで書いているのが分かる」と作品の魅力を語った。

 

藤井氏は奇想と現実の距離感について、フリード氏と西氏の作品を比較。舞台設定がファンタジックなものが多いフリード氏に対して、西氏の作品では、日常の描写の中に、かもめが「えっきょー」と鳴く世界観がある。読んでいるとかもめが「えっきょー」と鳴くことに抵抗がなくなると指摘。

 

西氏はそれに対して「私は自分が信じられる世界しか書けないので、かもめが『えっきょー』と鳴くと信じて書いている。かもめが鳴いていることを私たちは『鳴いとるわ』と思うだけだけれど、かもめはとても大事なことを伝えているのかもしれないし、たとえば私はこの前蝙蝠を見る機会があって、彼らがすごく気持ち悪いと思ったけど、蝙蝠だって、人間が地面を歩いているのを見て気持ち悪いと思っているかもしれない」と、世界を違った角度から見ることによって生じる違和感が小説に生きていると語った。

 

さらにトークは第二部の内容にも触れ、小さなニュースの登場人物に光を当てるということや、ニュースとして日々流される情報という事実とは別に、ニュースとして伝えられなかった情報について目を向けて書いていくことが、フィクションにしか伝えられない大切なことなのではないか――と、小説を書くための視点や心構えについて意見が述べられ、一時間のトークセッションはあっという間に終了。

 

述べ三時間弱にもわたるイベントは、大いに盛り上がりつつ閉幕した。イベント終了後もセス・フリード氏のサイン本が完売するなど、文学の力を見せつけたこのイベント、次回の開催が早くも楽しみだ。(写真・文 四畳半しけこ)