【後編】ノーベル賞に最も近い作家の一人、カズオ・イシグロ 新作『忘れられた巨人』の発売記念講演

目次

 

作品は翻訳されると、その特色が損なわれるのか

 

「作品が世界に流通し、読まれることを意識している世代の作家」であるイシグロさんは、作品のテーマ設定に関しても、世界で読まれることを意識しているという。具体的には「ローカルではない、普遍的で大きなテーマを書かなければいけない。それは、地方紙で記事を書くのと、国際的な新聞に記事を書く違い」というもの。

 

例えば北欧の作家が小説を書き、それが英語に翻訳されれば、読者の層は広がっていく。しかし、その国の言語で書かれた小説こそ、育った環境や国の特色、文化が芳醇に描かれる。それ以外の言語に翻訳されると、損なわれてしまうのではないか、というのがイシグロさんの仮説だ。

 

「南米など、我々の世界とある程度切り離されて、独自の成長を遂げた文学の特色が失われないか心配している。ただ、普遍的なテーマを書こうとすると、辺境的にならないのでそれは良い点」だとイシグロさん。

 

国際的に成功した古典小説であっても、きっと著者は当時、外国で読まれることを想像していなかったと思う、と分析した上で、「物語の舞台となる場所で繰り広げられた話だからこそ、深いテーマがある。それが普遍的な人間のビジョンであるかどうかが問題」と話した。

 

続けて、「けれど、デンマーク人が肩越しに覗き込む心配は今もある」と先ほどの例を引き合いに出し、会場を笑わせた。

 

 

どの国も抱えている『忘れられた巨人』問題

 

そして話題は、「忘れられた巨人」を書こうと思ったきっかけについて。イシグロさんは、日本でも英国でもフランスでもアメリカでも、常に大きな問題を抱えていると指摘する。「その国の人々にとって、忘れたいと思っている大きな出来事がある。アメリカを例にすると、白人の警察官が黒人を銃で撃ち、人種差別に反対する暴動が起きるなど、毎週のように新たな事件が起きる」と説明。

 

そして、奴隷制度や南北戦争の時代から続く問題への向き合い方として、「アメリカで一部の人は、新たな対立を生むから、奴隷制度の歴史は教科書に書いてはいけないと言っている。しかし一方で、きちんと書いて問題にぶつからないと、人種差別はなくならないという人もいる」と、解決が難しい現状に言及した。

 

そんな問題について考えたことがきっかけで、イシグロさんは『忘れられた巨人』を執筆したという。今でも外国を訪れる場合、その国の『忘れられた巨人』は何かを考え、現地の人に聞いているのだそう。

 

もちろん、日本にもイギリスにも『忘れられた巨人』はある、とイシグロさん。それが何か、具体的に言及することは避けますが、と少しだけ寂しげに表情を曇らせたのが印象的だった。

 

 

作家を目指すなら、本当に書きたいと思っているのかが重要

 

そして来場者からの質問コーナーでは、「小説を書きたいと思っている人たちにアドバイスを」というリクエストが。イシグロさんは、「本当に書きたいと思っているのかが重要です」と回答する。

 

「アメリカやイギリスでは、作家やライターになりたい人はたくさんいますが、その多くは書くことができず、物語を考えるのに向いていません。そしてそう気付くまでに、驚くほど時間がかかるのです」

 

その原因として、多くの大学に「クリエイティブライティング」という、小説講座があることを指摘。作家を目指す学生はお金を払って受講する。本が売れない作家はその講師になる。つまり、産業になってしまったんです、とイシグロさん。

 

生徒の中にはいい作家になる人もいるが、夢を持った若者の多くは搾取され、若い大事な時期を無駄にしてしまう。そして30歳や35歳になったとき、間違ったことをしていたと気づくという。

 

そして、「本が出版できなくても、作家というステータスが手に入らなくても、それでも書きたいと思っているのか。それに『イエス』と答えられなければ、作家にはなれない」と、厳しくも温かいエールを送った。

 

*

 

作品を発表するたびに読者を驚かせてきた作家・カズオ・イシグロ。10年ぶりの来日講演は、非常に濃密な内容であった。またいつか、日本で話を聞ける機会を、ファンは心待ちにしていることだろう(取材・文 西川卓也)。

 

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