【前編】ノーベル賞に最も近い作家の一人、カズオ・イシグロ 新作『忘れられた巨人』の発売記念講演

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10年ぶりに来日したカズオ・イシグロ氏  (C)Hayakawa Publishing Corporation

 

6月8日、東京、イイノホールにて第19回ハヤカワ国際フォーラム「カズオ・イシグロ講演会」が開催された。『わたしを離さないで』以来、実に10年ぶりの長編小説『忘れられた巨人』(原題:The Buried Giant)の発売を記念して行われた本講演。

 

第1部は女優・モデルの杏さんと文芸評論家の市川真人さんが、第2部では英米文学研究者の柴田元幸さんと本作品の日本語訳を手がけた翻訳家の土屋政雄さんがゲストで登壇し、イシグロ作品や創作論、翻訳など幅広いテーマについて語り合った。

 

 

 カズオ・イシグロ

1954年に長崎で生まれ、五歳のときにイギリスに渡り、日本とイギリス両方の文化を背景に育った。三作目となる長篇、『日の名残り』でイギリス最高峰の文学賞・ブッカー賞に輝き、現在、世界で最も注目されている作家の一人である。

 

第一部がスタートして間もなく、カズオ・イシグロの作品の中で何が一番好きかという市川さんの質問に、『日の名残り』と答えた杏さん。それを聞いたイシグロさんは、「かなり若かったときの作品ですね(苦笑)」と複雑な様子。会場から笑い声が上がり、和やかな雰囲気でトークが始まった。

 

 

 小説家のピークは35~45歳?

 

まず話題は『忘れられた巨人』について。市川さんは、前作から作品の幅が広がったことを指摘し、「年齢を重ねたからこそ書けることがあるのですか?」と質問する。イシグロさんは「若かった頃、小説家のピークは35歳から45歳なのではないかと考えていたことがありました」と回答。

 

トルストイやジェイムズ・ジョイスといった偉大な作家たちが、代表作である「戦争と平和」や「ユリシーズ」を40歳前後で発表したことを例に出し、「偉大な小説を書くのなら、35~45歳の間に書かないといけない。小説家のピークは、サッカー選手のそれと4~5歳くらいしか変わらないのでは」という独自の理論を持っていたことを明かす。

 

しかし、マラドーナら偉大なサッカー選手たちが、年を重ねていく中で自分のスタイルを変えていくことを引き合いに出し、「昔ほどエネルギーが無いと感じることもありますが、年を取ったサッカー選手がFWからMFに下がり、周りの選手に指示を出すような技術を、私も小説を書くことに見出したいのです」と話した。そういう意味で、市川さんの指摘は的を射ていたようだ。

 

 

作品が様々な形に変化し、成長していくことが大きな野心

 

続いての話題は、小説と映画の関わりについて。自分の作品が映画化されることについて、イシグロさんは「他の誰かが(自分の作品に)強い印象を受けて、それを映画化しようとすることは素晴らしいことです」と肯定的な意見。

 

自分の作品が映画化されることを嫌う作家がいることにも理解を示した上で、「自分の書いた小説が世の中に出ると、社会はそれを所有し、変え始めます。しかし、物語が時代とともに変化を遂げ、何百年も生き続けるのは素晴らしいこと。作品が将来、様々なかたちに変化し、成長していくかもしれない。それはより大きな目的であり、より大きな野心です」と自身の考えを語った。

 

しかしその際は、小説から映像という異なるジャンルへ“翻訳”するだけではなく、自分の元を完全に離れて、手掛ける映像作家によって全く違う作品にしてほしい、と付け加えた。

 

実はイシグロさんは、元々ミュージシャンになりたかったのだそう。もし自分が作った歌が世の中に出て、フランク・シナトラやレイ・チャールズ、ローリング・ストーンズといったミュージシャンたちにカバーされ、変わっていくのは素晴らしいことであると、分かりやすい比喩で会場を納得させた。

 

それを受けて杏さんは、「舞台化について肯定的であることは、作り手にとってありがたいです」と女優としての意見を述べる。そして、イシグロ氏の短編集『夜想曲集』の舞台版を観に行ったことに触れつつ、「映像を見て、『ここをこんな風に変えたのか』と驚かれたことはありますか」と質問。

 

イシグロ氏は、確かに自分が書いた小説との違いに驚くことはあるそうだが、それも楽しみの一部だと捉えているのだそう。そして「映画と小説にはそれぞれ長所、短所があり、どちらにも限界があると気が付きました。私はいつも物語を、主人公やナレーターの記憶を通して書いています。記憶というフィルターをかけることは、文字でフィクションを書く強み。これは演劇、映像では難しいと思っています」と、各分野の違いについて見解を語った。