【第2回】喫茶店「くるみ」のシフォンケーキ/船に乗れ(藤谷治)

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初恋に付き物の苦い思い出。今ならエゴが相手を傷付けていたのだとわかっても、自分しか見えていないあの時期にはなかなか気付けない……。藤谷治『船に乗れ!』のサトルと南もそうだった。

 

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音楽科の高校に進学したサトルは、ヴァイオリン科トップクラスの実力を持つ南に惹かれる。オーケストラの練習を通じて距離が縮まるものの「恋人」とはまだ呼べない。そんな二人が、文化祭の最終日にこっそり学校を抜け出して向かったのが、喫茶店「くるみ」だ。

 

 

夕暮れも深くなって、僕たちは「くるみ」でケーキセットを食べた。わずかな時間しかなかったけれど、疲れた左腕をだらんと下げて、右手で紅茶を飲む南とのお喋りは楽しく、専門用語に満ち溢れていた。弦をまたぐレガートのボウイング、ピチカートでの装飾音、開放弦のビブラートについて僕たちは語った。それがちっともカレシ・カノジョっぽい会話じゃないことは判っていたけれど、ほかにどんな話をすればいいのか、思いつかなかった。――『船に乗れ! II 独奏』藤谷治

 

喫茶店「くるみ」のメニューはごくわずかしか登場しないけど、後々まで記憶に残る名脇役。ふわふわした二人の時間を彩ったケーキはなんだったのだろう? 私は紅茶の渋味にも珈琲の苦味にも合うシフォンケーキだったんじゃないか、と想像した。

 

しかし、幸福に満ちた時間は、サトルの配慮を欠いたある言動で崩壊の一途を辿る。こともあろうに「くるみ」で口論となる二人。その日の南の紅茶は、かつて二人の会話に彩りを添えた名脇役としての役割を演じることはなく、一滴も飲まれないまま放られ、ただの背景に成り下がっていた。

 

たとえ口に含まなくとも、二人は充分に味わったはずだ。若さゆえに苦い、恋の味を。

 

<喫茶店「くるみ」のシフォンケーキ>

≪材料(17cmシフォン型1つ分)≫

  • 卵…3個
  • 砂糖…60g(30g×2)
  • サラダ油…40g
  • 牛乳…40g
  • 薄力粉…60g

≪作り方≫

  1. 卵は卵白と卵黄に分ける。
  2. 卵黄に砂糖30gを混ぜる。
  3. サラダ油、牛乳を別のボールで混ぜる。
  4. ②に③を加え、混ざったら薄力粉を加えて再び混ぜる。
  5. 卵白に砂糖30gを加え、ハンドミキサーでツノが立つまで混ぜる。
  6. ④に⑤を数回に分けて混ぜる。
  7. シフォン型に流し込み、170℃に予熱したオーブンで25分焼く。

 

著者/深森花苑

日常の隙間を描く幻想小説を書いています。